恋する淫魔と大剣使いの傭兵

三章 | 03 | 見え隠れする偏食


 店を出たところで鐘の音が聞こえた。かなり長居してしまっていたらしい。

 家に帰るついでに、商店街を軽く見て回って、食材の売っている店を見ておくことにした。朝に石鹸他を購入したときには、ゼルギウスと二人でゆっくりと見て回れなかったのである。

 とりあえず当分――ここでの生活に慣れるまでは、総菜を売っているような店で出来合いのものを買うつもりだったが、野菜や肉といった生鮮食品を売っている店の品を見て回っていると、やはり出来合いのものでは少し割高になってしまっていることがわかる。

(|次の廻り《来週》あたりからは、ちゃんと料理することにしよう……)

 テンベルクでも、モニカの分も含めてシェスティが料理をしていた。これはテンベルクに来てから身に着けたのではなくて、元々シェスティは料理が好きだったのだ。

 サキュバスにとって必要不可欠とは言えない料理も、人間族にとっては必須。人間族に紛れ込んで生活しようとするのであれば、料理はできて損はない技術だ。

 まだ独り立ちできぬ年齢のサキュバスが集う城では――少なくともシェスティのいたところでは、そういった『男を落とすテク』とでも言うべき技術を磨く慣習があった。
 シェスティは個人的好みも手伝って、料理と裁縫を好んでいた。人間族――特に〈トールマン〉にとって、『家庭的で素敵な女性』にはこの二つが必須だと本で読んだ、ということもある。

 特に料理については、『男は胃袋で掴め』などという文句まで登場するくらいの重要性をもつ。……とシェスティは理解していた。
 もっとも、他のサキュバスたちは、胃袋なんぞで掴む前に〔催淫〕で心ごと掴んでしまえばいいし、自分自身には食事は必要ではないということで、料理の腕を磨こうとする者は多くなかったが。

 まあ、肉や野菜といった食事が必要不可欠ではないとはいっても、美味しい料理を食べるというのが楽しいのは間違いない。サキュバスにも人間族と同じような味覚が備わっている。
 それに、シェスティのようにカツカツの生活をしていると、調理後の料理に残された微弱な――ほんとうに僅かな魔力でもありがたいというもので。

(それに節約にもなるし、いいことづくめだよね)

 とりあえず今日のところは総菜をいくらか購入しつつ、安くて質のいい食品を売っている店をざっくりと確認しておく。

 それから、最後に花屋で鉢植えに植えられた花をいくつかと、簡単な手入れ用品。これは当面の『食料』である。活け花ではあまり精力を吸えないから、できれば鉢植えにしたかったのだ。
 ひと月後、どうするのかという問題はあるものの、安定した吸収源がなくては立ち仕事はやっていられない。

 めぼしい店にあらかた目星をつけ終わったところで、日が落ちる前にシェスティは部屋へ戻った。
 ゼルギウスはまだだったようで、彼が戻った時にすぐ食事がとれるように皿の準備をする。

(……あれ? でも、依頼が討伐系だったら、先にお風呂に入りたいかな)

 と、そう考えたところで手が止まる。
 少しくらい汚れた格好には慣れているだろうけれど、お風呂がある環境なら体を清めたいかもしれない。そうしたらお風呂の準備をしておいたほうがいいだろうか。

(いや、でも、いつ帰ってくるのか……)

 ――と。そうこうしているうちに、玄関の戸が開く音がする。

「……あっ、おかえりなさい!」

 ぱっと出てきて出迎えたシェスティを見て、ゼルギウスは一瞬目を見開いた後、すぐに真顔に戻る。

「……ただいま」

 少しだけぼそぼそとした声でそう返された。シェスティは先ほどまでの思考のまま、

「えっと、お風呂にしますか? それともご飯にしますか?」

 と問いかけた。
 ゼルギウスは硬直した後、シェスティから露骨に目を逸らした。

「……………………。先に飯にしよう」

 そう言ってそのままシェスティの脇を通り抜け、リビングへと入った。

(……?)

 そんな態度を訝し気に思いながらも、シェスティもリビングへ戻り、途中で中断していた夕食の用意をする。

 今日はくるみ入りのパンに、ちょっとした揚げ物数種類とサラダだ。シェスティが食べる分よりも、少しだけ多めに買ってきておいた。一階に食堂もあるのだが、共同の場所で食事を取るのは、――特に夜は、気が引ける。

 揚げ物は、シェスティが購入した時点では揚げたてだったが、少し時間は経ってしまった。……それでもなおサクサク感を失っていないあたり、なかなかの技量だとシェスティは食べながらひとり感心していた。

 夕食をどちらが用意してくるかについて打合せをしていなかったこともあり、ゼルギウスもいくらか総菜を買ってきていた。昨日シェスティが食べていたものと同じ店の肉串のようだ。あとはいくらかのパン。ゼルギウスにとっての一人分よりは、少しだけ多めのようだ。
 二人で買ってきたものを合わせて、だいたい二人分になりそうだった。

「……ゼルギウスさん、お肉ばっかりだと、病気になっちゃいますよ」

 ゼルギウスは少し肉ばかり食べるところがあった。旅の間は保存食ばかりになるし、ある程度仕方なかったため特に何も言わなかったが、こうして腰を落ち着けるところがあり、食べ物の選択肢がある程度存在する状況ではさすがに偏っていると言わざるをえない。

 栄養学の概念はまだティアラントでは起こったばかりである。ギルドによる統治が安定し、地方でもそれなりに食事に困らないようになってきたために始まった研究なのだという。
 シェスティは少しだけ本で読んだことがある程度だから、単に腹を膨らますだけでなく、いろんなものを食べたほうがいいという程度にしか理解していないが、少なくとも肉とパンだけで済ませるというのが『栄養が悪い』のは間違いないだろう。

「……。野菜は買っていない」

「もう……私の買ってきた分がありますから、今日はそれ、食べてください」

 ゼルギウスが買ってくるかどうかわからなかったため、少し多めにしてあったのだ。サラダを皿に取り分けて差し出すと、渋々といった調子で野菜を食べだした。

「嫌いですか?」

 そう問うと、

「いや。あえて食べようとは思わないというだけだ」

 少し憮然とした調子で返される。

「……。明日から、夕食はゼルギウスさんの分までまとめて私が買ってきます」

「いや……。ああ、…………そうしてくれ」

 じと、とした視線を送ったのが功を奏したか。嘆息気味に承諾される。思わず、少しだけ笑ってしまった。

 本人の言った通り、自分で買おうとしないというだけで、野菜も食べられないわけではないのだろう。特に特定の食材を残すでもなく、ゼルギウスはサラダを完食した。

「明日も同じくらいの時間になりそうですか?」

 食事のあと、片付けと風呂の準備をしながら問いかける。

「いや、今日は遅くなったほうだ。普段はもっと早い」

 どうやら、今日の依頼は町から少し離れたところでの討伐依頼だったらしい。

 討伐依頼、と言っても、前の村であったような急を要するものはそう多くない。大抵は一定の大きさの魔石を納品するのが実質的な内容だ。要求される大きさに応じて、どこまで討伐に行くかを傭兵たちは変える。

「そうですか。……えっと、明日からは、お風呂、先に入られますか? 用意しておきますが」

「いや、一定の時間に帰ってこれるという確証もない。夕の鐘までには帰るから、夕食の時間はこのくらいになるはずだが、風呂は魔石が無駄にならんように、二人とも入れる時に用意してくれ」

「はい、わかりました。では、夕食だけ用意しておきますね。あと、お風呂、沸きましたよ」

「ああ、ありがとう」

 風呂が沸いた――と言っても、温水が出る魔石を使用して湯をためただけなのだが。温水石は火と水の複合魔術を込められた魔石であるため、他の魔石よりも少し高価だ。昨日今日と使ってはいるが、少し我慢したほうがいいかもしれない、とシェスティは思っていた。

 ちなみに、ゼルギウスに確認したのだが、彼が打ち消す魔術は『自分に対して行使されたもの』という制約がある。なので魔道具に込められた魔術を解除してしまうということはなく、魔石に込められた魔術を起動することもできる。

 しかしそのこととは全く関係なく、風呂の準備他、洗濯などの家事はシェスティがやっていた。別にゼルギウスに家事ができないわけではなく、現に下着類は本人が洗っている。ただ、モニカの家に居候させてもらっていた時から家事はシェスティの仕事だったため、自然とそうなっていたのだ。

(ゼルギウスさんがお風呂に入ってる間に、ちょっと花から魔力を吸って……)

 料理含め、家事は半分ほど趣味になっているのだが、重労働なのも事実。魔力が不足しかかっている。

(旅は楽しいけれど、これを誤魔化すのが大変だからなあ)

 自分の部屋があると、確実に鉢植えから精気を吸うことができる。ひと月だけの滞在にも関わらず鉢植えで花を買ってしまったことが不自然だったかとは思ったが、致し方ない。活け花にしてしまうと急速に枯れてしまうのだ。

(明日からは立ち仕事なのだから、ちゃんと体力をつけておかなくちゃ……)

 シェスティはそう心に決めて、部屋へ戻った。

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