恋する淫魔と大剣使いの傭兵

三章 | 05 | 軒先で待つ男


 ――彼女自身に特に悪いところはなさそうだな、とゾフィはこの数日で判断していた。

 男性が怖いと言って、片付けを中心にすると聞いていた。ここは少し可愛らしい雰囲気の喫茶店だから、男性の客は比較的少ない。それで問題ないと言っていたのだが、シェスティが勤め始めてから男が増えた。それも、ちょっと――イヤな感じの目付き。

 客として注文してくれるならなんでもいいけれど、問題は起こさないでほしい。そういう男がいるときはそれとなくシェスティに洗い物ばかり任せて、表に出てこないようにした。
 幸いにして皿を割りまくるようなドジな子ではない。むしろ手際よくやっていると言える。ここで働き出してすぐのゾフィよりもずっと。

 ただ単に、旅の途中で路銀を稼ぎにきただけの子。それにしては来たばかりという町で随分男に追いかけられているらしい。
 どうもおかしい気はしたけれど、シェスティ自身がかなり嫌がっている様子だったし、それにしばしば謝ってきていたから、ゾフィはとやかく言うつもりはなかった。確かに可愛い子ではあるし、真面目であまりキツそうでないところがモテるのだろう。

 まあ――初日から出待ちをされていたのにはびっくりした。店の外からじろじろと店員を眺めまわされるのははっきり言って営業妨害だ。

 ――うちはそういう店じゃない。

 ゾフィは手が空いた時にそういった手合いを追い払うことにしていた。だいたいは気の強いゾフィが出てくれば引っ込んでいくが、中には面倒なのもいる。そういう時は可能な限りヴェロッテが対応してくれた。シェスティが帰る時間にはだいたい客足は落ち着いているから、少し出ていくくらいなら問題なくやれた。

 シェスティが働きだして九日目のこと。

 その日もシェスティが帰るくらいの時間になって、店の前で立ち止まる男がいた。時折皿を片付けるために表に出てくるシェスティを、少し見ているようだった。ああ、いつもの手合いか――と、ゾフィはため息をつく。さっと周囲を見渡してから、少しなら外に出てもよさそうだと判断して、男を追い払いに出た。

「ねえ。お客さん――じゃないよね?」

 ゾフィは男を見上げた。彼女は別に小柄というわけではなく、ティアラントでは平均くらいの背丈だったけれど、それでもその男は長身で、体つきもよく、近くに立つと少し威圧的な雰囲気さえあった。それでも怯むことはない。

「営業妨害なので、入るか、それかどっか行くかしてもらえないかな」

 大抵の男はこう言えば去っていくものだが、今日の男は結構ねばるたちだった。

「……申し訳ない。ただ、シェスティと約束しているもので。すぐに行きますから」

 言葉つきは存外丁寧なもので、ゾフィは少し驚いた。けれど、騙されはしないぞ、思う。その約束とやらが妄想の可能性は十分ある。それにこの男は、――どこかで見たことがあったかもしれないが、少なくとも客として来た記憶はない。金は落とさない上に出待ちだけして迷惑をかけてくるのだ。

「約束? 具体的には?」

 猜疑心を隠すことなくそう問いかけると、男は表情一つ変えず、

「彼女を家に送る約束をしています」

 と言った。

(え、これ、すっごいヤバイ人じゃないの!? 住んでるところを突き止めようっての!?)

 シェスティは宿ではなく、短期間入居できる住居に住んでいるのだと聞いている。ギルド管轄でそういう集合住宅があるのは知っていたし、旅をしているのだからギルドにも所属しているのだろうとゾフィは考えていた。

 宿ならまだ女将なりなんなりが助けてくれることもあるかもしれないが、家までついてこられたら逃げにくいだろう。これはいよいよ追い払わねばまずいとゾフィは決心した。――のだが。

「……あっ」

 エプロンを外したシェスティが、裏口から出てきたところだった。声が聞こえてしまったようで、男もシェスティのことを見る。

 ――これはシェフ呼んでくる案件かな。そう思ったものの、シェスティは直後、普段の困ったような表情ではなくて、ただ、申し訳なさそうな顔をして。

「すみませんゼルギウスさん、遅くなりました」

 と言って、男に頭を下げた。

「あれ、本当に知り合い?」

 どこか安心した風のシェスティを見て、ゾフィは呆気にとられた。

「あっ……すみません、お話するのを、忘れていました」

 そう言ってシェスティは、彼が傭兵であり、護衛の依頼でシェスティと共に旅をしていること、昨日帰り際後をつけられて家まで来られてしまったので、送り迎えをしてもらうことになったことを話した。どうやら朝も一緒に来たようだったのだが、大通りからこの店のある通りへの角のところで別れたためゾフィは知らなかったのである。

「なんだ、すみません……てっきり、いつものシェスティ目当ての男の、妄想の約束で家までついていこうとするすっごいヤバい人かと」

「……………………いえ。そう思われるのも致し方ないかもしれません。申し訳ない、こちらこそ説明不足でした」

 物凄く微妙な顔つきだったものの、彼は怒るでもなくむしろ謝ってきた。

「あ、あの、私が先に言っておけばよかったので……」

 全員で謝り倒すような空気になって、なんだかおかしくなってしまい、少し笑った。

「えっと、ヴェロッテさんにはさっき言っておいたのですが、明日から私が上がる時間に来てもらうことになると思います」

「わかった、次からは追い払わない。……むしろあなたが他の男を追い払ってくれると、ありがたいんですけど」

 ゾフィがちらりとゼルギウスを伺いながら言うと、

「……ああ、裏手から忍び込もうとしていた奴なら追い払っておいたが」

 と事もなげに返される。

「え、あー……それはどうも、ありがとうございます……」

 どうやら既に追い払っていたらしかった。優秀な護衛である。
 重ね重ねの失礼を詫びたが、ゼルギウスはさして気にしていないようだった。

「では、これ以上は本当に迷惑になりますから、俺たちはこれで。……帰ろう、シェスティ」

「はいっ。……あ、夕食の買い出しだけ、してもいいですか?」

「ああ。……では、失礼します」

 ゼルギウスは慇懃に礼をすると、シェスティを伴って去って行った。

 あれだけ腕の立ちそうな男が隣にいたら、よほど無謀でない限りシェスティに絡みにいこうとする男は出てこないだろう、とゾフィは安心して店に戻る。

 ゼルギウス、という名前が、少し引っかかっていたけれど、少し考えて、数か月前まで時折客の話題に上っていた傭兵がそんな名前だったかと思い出す。そういえば、最近この町に戻ってきたとかいう話も聞いた。

 大柄な大剣使い。ともすれば不愛想とも言える口数の少なさと表情の乏しさだけど、傭兵としてはかなり紳士的だとかなんとかで、腕も立つこともあって一部でちょっとした女性人気があったらしいのだ。主に傭兵ギルド関係者の間でだし、ゾフィは今日初めてその姿を見たわけだが。

 どういう経緯かは知らないけれど、その彼が護衛だったのか。ゾフィは少しだけ驚いていた。

(ベルグシュタット地方に行ったとかいう話だったけど、シェスティの依頼を受けて戻ってきたのね)

 ――それにしても。注文の落ち着いた店内で、せわしない印象を与えない程度に動き回って机を拭いたりしながら、ゾフィは少し前のシェスティの表情を思い出していた。

(完全に恋する乙女じゃないのっ!)

 店の中で男性に向ける表情は、大抵困ったような笑顔。それか心底迷惑そうな顔、相手がしつこければ無表情で。華やいだ表情を見たのは初めてだったかもしれない。

 ゼルギウスの方は今の一瞬しか話したことがないから、確証はないけれど。――『護衛』って、こんな男避けみたいなことまでするのが普通、というわけではないのではないか。
 それに、その態度も仕事で嫌々やっているようには見えなかった。

 ――だから、まんざらでもないのかもしれない、と思ったりして。

 ゾフィは噂話をする客に聞き耳を立てることはあるけれど、客と噂話に興じることはない。けれど、時には参加してみたいときもあるのだ。

(よし。今度お休みの日に誘って問い詰めよう。出会った経緯とか。どこが好きかとか!)

 自分にはそういう話がちっともないし、周囲にあんな『恋をしています』という顔をする知り合いがそうそういないのだ。めちゃくちゃ根掘り葉掘り聞いてやる――そう決心するゾフィだった。

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