恋する淫魔と大剣使いの傭兵

閑話 | 01 | 追憶


 魔獣の群れに、襲われかかっている少女がいた。
 その髪は赤く、ところどころ色が抜けたように白い。――いや、違う。逆だ――白い髪に、真っ赤なものがこびりついている。それが血だということはすぐにわかった。
 はっきりとその足で立って、後ずさっているが――放っておけば、その命が尽きるのも時間の問題だろう。

 地方を変えてすぐ、随分な事件に出会ってしまったものだ。依頼はギルドを通せとは言うが、こういった緊急避難は別である。間に入って少女を背に庇う。息つく間もなく襲い掛かってくる一体のしなる枝。それを咄嗟に抜いた大剣で払い落す。
 ――切り株のような魔獣たち、四体。どれもそれなりに大きい個体――それこそこの辺りでは違和感を覚えるほどの大きさであるが、幸いにして、大して統率は取れていない。
 ふ、と一つ息を吐く。この程度ならば剣でも全滅させられるが、今にも倒れそうな少女を守りきれるかはわからなかったし、怪我をしていたら手当てしてやらねばならない。

 ――すぐに終わらせなくては。物を惜しんでいる場合ではない。

 ポーチから火炎石を取り出して投げつける。あれは木の魔獣。であれば火に弱いのは道理だった。魔術が使えないゆえに、時に剣で対抗しにくい魔獣には苦戦することもある。対抗手段として常に魔石は携帯していた。
 火炎石が直撃した一体が燃え上がる、その間にもう一体を叩き割る。向かってきたもう一体に対し、横なぎに叩きつけて吹き飛ばし、いまだ燃え盛るはじめの個体の火に巻き込んだ。さっと辺りを見渡せば最後の一体が今にも少女に襲い掛かろうとしている。即座に剣を振り下ろしたが、力が甘い。両断できず、結局刺さったまま持ち上げて火にくべた。

 当面の危機を排すると、魔石の回収は後回しにし、改めて少女に向き直る。まだ襲い掛かってくる可能性を考えて剣はしまわない。
 彼女は茫然としたまま、立ち尽くしていた。

 大人になったばかりの、幼さと女性らしさが同居したような雰囲気の女性だった。白い肌に銀色の髪は、きっと整えたら陽光に煌めいて、なかなかに美しいのだろう。
 けれど――今、その少女からは、ひどい血の臭いがしていた。

「大丈夫か?」

 声をかけてはみるものの、口から洩れるのは「あ……」といった意味のない音ばかりで、ほとんど反応がない。
 赤い瞳が、光を失っていた。血の臭いから重症なのかと思っていたが、どうやらさっと見る限りそうでもないらしい。
 この血の赤は全て彼女のものではないようだった。

 顔を見れば、服や髪だけでなく、顔――口の端に血の跡がある。怪我もなさそうなのに。
 ――まるで、飲んだ跡のようだった。

「……聞こえるか? 大丈夫か? 俺の言っていることはわかるか?」

 小柄な彼女に合わせて少し屈みこみ、その瞳を見つめる。少し肩を揺らすと、ようやく生気が戻り始めた。

「むら、が――」

 細い声だった。空気がひゅうひゅうと混じって聞き取りにくい。

「……村?」

 拾えた音から類推して問い返す。確か、この近くにも村があったはずだった。そう遠くない距離だ。

「まじゅうが――みんな――誰か――」

 うわ言のように呟いていて、要領を得ない。――けれど、なんとなく。彼女を助けて済む問題ではないのだということがわかる。――そうして、もう手遅れなのだろうという確信。
 彼女をそっと抱きしめて、背中を叩いてやった。

「ゆっくりと、落ち着いて喋ってくれ」

 大丈夫だ、もう大丈夫なんだ、そうあやすように言うと、彼女は静かに嗚咽を零した。

「――手伝って、くださいませんか」

 細く震える声がそう言った。はっきりと文の体裁をとったもの。

「私には――ちゃんと埋めてあげられなかった――」



 その後少女は疲れたのか眠ってしまった。その場ではどうしようもなく、魔石を回収してから彼女を抱きかかえ、一番近くにあった町に少女を運んだ。

 とりあえず初めに出会った者に少女を預けることにした。悪人面だったら迷ったかもしれないが、腕の中にいる細く血塗れの少女を見て狼狽え、向こうから声をかけてくれるような者であったから、それは幸いであったかもしれない。
 その恰幅のいい女性に少女を託す。――突然のことで、困らせてしまったかもしれないが、致し方ない。簡単に事情を説明したうえで、後で戻るからと言って、家の場所を聞いておいた。

 村のある場所へ向かう前に、ギルドに報告をしたかったのだが、どうもこの町は構造が掴みにくく、どこにあるのかいまいちわからない。山間の土地だからだろう、高低差が激しく、道の繋がりが一見した印象とは違うのだ。
 時間も惜しく、手近な人間に代理で報告を頼んで、町を出る。

 死骸を放っておけば、魔獣に食い荒らされてしまうだろう。そうすれば魔獣は凶暴化するし、なにより彼女の願いを――埋葬するという願いを叶えてやることができない。



 ――生き残りが一人でもいることを期待していたのだが、結局少女だけであったらしい。もしかしたら、村民が彼女を隠そうとした成果だったのかもしれない。倒れ伏していたのはほとんどが老人で、少女よりも二世代は上であろうという者ばかりだった。

 村で埋葬をしている間に応援が来るはずと期待していたが、結局最後まで一人だった。頼んだ者が何もしてくれなかったのか、それともギルドが動いてくれなかったのかはわからない。
 魔獣が来る前に終わったのは幸いだった。

 町へ戻り、とりあえず少女を預けた女性の家へと向かう。少女は寝ているらしかった。

「すみません、突然押し付けてしまって」
「いいや。……それで、事情を聞かせてもらえるかい?」

 知っている限りのことを話すと、そうかい、と女性は呟いた。

「俺はこれから、ギルドに報告に行ってきます。その子のことも――」

 ギルドに頼みます、そう言おうとしたが、女性は首を振った。

「ギルドに言っても、……もしかすると、ロクなことにならないかもしれない。……誰も手伝いに向かわなかったでしょう?」
「……はい」

 どうやら、頼んでいた報告はなされていたようだった。そのうえでギルドは動かなかったのだ。
 ――なぜ。そう思うのだが、答えは出ない。女性はひとつ、ため息をついた。

「この子の面倒は、私が見ます。何かの縁だと思って。――ギルドにもそう報告します。一緒に伺っても構わない?」
「――ええ、はい、俺は――貴女が構わないのなら――」

 露骨に困惑した様子をみせた自分を安心させようとしたのか、彼女はにこりと笑った。

「娘が出て行ったばかりで寂しかったから、ちょうどよかったわ」



 彼女がきちんと元気に育ったのか、それはよくわからなかった。その町にはその後訪れないまま数年が経過した。そもそもそこは目的地ではなく、本来立ち寄るつもりもなかった場所だった。
 ――次に訪れることになった時、数年前にその町にちらりと寄ったことも、覚えていなかった。ただ、道に迷ってしまって。

 明らかに住宅街の中にいることはわかったが、一本隣のはずの商店街に辿り着けない。しかも人気がないので困っていたところ、

「……ごめんなさい」

 風にとけて消えてしまいそうな小さな声が、聞こえた。
 それがどこか記憶の片隅に引っかかるような気がして、つい目をやってしまった。
 薬草園だろうか、陽だまりの中、少女が一人屈みこんで、萎れた花をじっと見ている。

 風で、銀色の美しい髪がふわりと舞い上がった。彼女が立ち上がる。知らぬ女性だと思った。――けれど同時に、その姿に見覚えがあるような気がした。

 ――気が付いたのはかなり後になってからだ。細い体。血に濡れ、瞳は虚ろだった、あの幼さの残る少女と、花に囲まれて立つ、血の穢れも知らぬような女性が、自分の中で繋がっていなかった。
 だからその時は、初対面だろうと思い直た。それでもどこか不思議と気になるその彼女に対して声をかけたのは、今にして思えば、道に迷って困っていたというだけが理由ではなかったのだろう。

「――この町に住む人でしょうか」

 声に反応して、彼女がこちらを振り返る。
 赤い瞳が、不思議そうにゼルギウスを見返していた。

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