追憶に沈む

お題:見憶えのある汗 制限時間:15分


 彼の身体に指を這わせるのは、幾日ぶりのことであっただろうか。──なんだか記憶が曖昧で、思い出そうとすればとろけるように。あぁ、と思考を放棄する。思い出せないことなど、さほど重要ではないのだ。  今、必要な情報は。彼が目の前に居て、私がここに座っていて、その足をつけている場所はふかふかとしたベッドの上で、少しでも身じろげば、ぎし、とスプリングが音を立てる。この、状況だけ。 「……久しぶりね」  ぽつん、と声をあげれば、彼はそうだね、と笑った。彼と付き合い始めるまで、暫くのブランクがあった。勿論、男性経験という意味で。数年感の空白は、自らの”女性”を衰えさせてはいないかと不安だったけれど、その実、私はあっという間に”女”に戻っていた。  好きよ、と繰り返すのは、不安からか。照明を落とした部屋の中、じっとりとした空気が肌を刺す。喉を締め上げるような──息苦しい、感情。  私は、彼のことをほとんど知らない。  彼のことで知っているのは、その身体の相性だけで。 「いい?」  ぽつり、と彼は問うた。うん、とかすれた声で囁いた。  何度も、何度も。こうして繰り返してきたこと。  ──こういう形でしか、私は安心を得られない。  隔てるものも何もなく、彼の素肌を感じる。  そういうことが出来なくなれば、あっさりと人を捨ててしまう。  遠距離恋愛になって、そのまま自然消滅した彼は──今頃、どうしているだろうか。  そんなことを。欲に溺れながら夢想する。  元より、行為の最中はいつだって酷く冷静で。溺れるような自分と、醒め切った自分が、意識の中に同居するようにして存在する。俯瞰した意識が、”溺れなくてはいけない”と時折思い出す。  嬌声も、所詮そんな程度のもので。 「貴女はいつもそうだね」  後になって彼は言う。 「本当に気持ちよかった? 俺じゃ、満足できなかったりしない?」  不安げに表情を伺うその身体に、汗がびっしりと浮かんでいて。よく鍛え上げられたその四肢が、酷く美しくて。  だから。 「そんなこと、ない。私、いつも満足よ」  にこり、と笑う。  その身体は、まさしく私好みのそれだった。 「そっか、なら良かった」  それを聞いて、本当に、嬉しそうに。  彼は破顔して。 「また──捨てられたら、悲しいから。結構頑張ったんだ、これでも」  そんなことを、呟いた。



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