――その後二、三日の間に、討伐隊は全員揃ったようだ。総員二十名ほどではあるが、辺境の小さな町の宿屋では入りきらない人数だったため、普段は使われていないギルドの寄宿舎のような建物を使っている者もいるらしい。今は周辺調査を行って問題の魔獣がどこにいるか探っているようだ。
慣れない男に話しかけられる機会はぐっと増えた。はじめに出会ったゼルギウスに全く〔催淫〕を受けた様子がなかったため、皆魔術に心得があるのかもしれないと思っていたが、どうもむしろ正反対らしい。討伐隊の男たちは、少し魔術に抵抗力のない者が多かった。というのも、〔催淫〕がすれ違った程度でも強めにかかっているらしいのだ。それなりに魔術に心得があれば、得意属性がなんであれ軽い〔催淫〕にはそうそうかからないものである。
そういった抵抗力の低い者たちは、テンベルクにもいたから、彼女としても対処法は簡素ながら編み出している。早めに会話を終えるのはもちろん、去り際に〔|解呪《リリース》〕を行うのである。
普段から、生命維持の最低限よりも少し多めに花の精力を吸い取って魔力を蓄え、男性と会話をし、〔催淫〕がききすぎているようならば、〔解呪〕を行っていたのである。彼女は潜在的に放出されている〔催淫〕魔術が変な問題を引き起こさないようにするためである。
幸いにして、自分がかけた〔催淫〕を解く方はそこまでの魔力を要しないが、それでも何もしないよりは多めに魔力を得ておかなくてはいけないことに変わりはない。魔力を多くストックできないがゆえに、旅に出ることもままならないシェスティは、定住するために彼女なりに気を遣っていた。
ただ、討伐隊が来たことで、〔解呪〕を行う機会が格段に増えているのである。
数日前――ゼルギウスと出会った日は、町の男から声をかけられるだけでなく肌に触れられてしまったから、解呪に少し多めの魔力を要していた。花をしおれされてしまったのもそのせいだ。〔解呪〕は大して魔力を要しないといっても、基本的には生命維持の最低限しか蓄えないでいたいシェスティとしては結構な負担となる。しかし、討伐隊がこの町を離れるまでは、更に魔力を多く蓄えておかないといずれ何か面倒事が起こってしまうかもしれない。
薬草園の周囲に生える雑草は、まだ余裕がある。抜いて捨てておきましたと言えば、怪しまれはしないけれど、体力が少ないのだから無理に肉体労働をしようとするなといつも言われているから、あまりたくさん抜いてしまうと逆に怒られる。部屋で育てている鉢植えの花もあるが、そっちは限りがあるし、いわば非常食なのでなるべく手をつけたくない。ただでさえモニカに「随分手をかけているようなのに枯らすのが早い」と言われていた。
(肝心のゼルギウスさんには、全然お会いできないし――)
討伐隊の傭兵に対して、本日十回目の〔解呪〕を行いながらそう考えたところで、はたと気が付く。
ゼルギウスと別れた時に、すっかり〔解呪〕を忘れていたのだ。
ゼルギウスは、外見上の言動に〔催淫〕された様子がなかったこともあって、シェスティは解呪を行うのを忘れてしまっていたのである。人のそういった欲の現れ方というのは本当に人それぞれなわけで、元々肉欲を隠すのがうまい者だと、外見上は〔催淫〕がきいているのかわからないのだ。だからあまりその様子がなくても、〔解呪〕は行っておかなくてはならない。
(きっとまた店でお会いするだろうから、その時にしておかないと……)
いずれ薬は必要になるだろう。そのときに、ちゃんと直接対応しなくてはならない。
しかし。それにしても――魔獣は魔族が率いているのではないか、そういう噂があるのに、あんなに精神汚染に抵抗のない人たちばかりで、大丈夫なのだろうか。魔族はサキュバス以外でも、心属性の魔術を得意とする種が多い。あれでは本当に魔族の関与があった場合、どうしようもなく全滅する可能性もあるだろう。
個人的な悩みとは別の不安が、頭に浮かんでしまうのも致し方ないことだった。
ゼルギウスが次に店に現れた時、シェスティはちょうど店番をしていた。
「あ、ゼルギウスさん、こんにちは」
笑顔を浮かべる。もう討伐隊の面々が揃いきって、交代で調査を行っているそうで、何人か非番の者が町に残っている。きっと今日もそういう日なのだろう。
モニカは奥で、朝にシェスティが採ってきた薬草を調合して薬を生成している。
「こんにちは」
彼は挨拶を返すと、彼は店内のものを見てまわった。それからいくらか見繕って注文していく。シェスティは聞きながらどんどんとリストに書きこんでいくのだが、かなりの量だった。
「随分買われるんですね」
売れてくれるのは嬉しいけれど、これでは在庫が尽きかねない。
「討伐隊で使うぶんです。……すみません、ほとんど在庫がなくなってしまった」
「いえ、そんな……お怪我がないほうが、いいですものね」
確かに言われてみれば、日常で使う類よりも戦いで使うような、少し高価な薬が多い。その中に精神汚染系の魔術への抵抗力を増すようなものも少量だが含んでいて、少しどきりとする。
袋に薬をつめ、会計をしながら、それとなく問いかけた。
「あの、……魔族の関与がありそうという噂は、本当なのですか?」
「いえ、真偽は不明です。他の者には不要だと言われているのですが、警戒しておくに越したことはないと思いまして」
それを聞いて抱いた恐れは杞憂だったとわかった。もしかして彼は、シェスティがサキュバスであることがわかっていて、皆が精神汚染にかかっていることがわかって買っているのかと少し思ったのだ。
領収書をギルドあてに発行するかと思いそう問えば、どうやらこれはゼルギウスの私費なのだという。なんでも、今回は薬のための助成金が無いのだという。それなりに金は持っているし、報酬で補えると彼は言うが、それにしても薬の類については必要不可欠なのだからひどいものである。
普通は、こういった薬代のような必要経費は事前に助成金として支払われていて、領収書を発行し、その使い道を誤らなかった旨を証明するため依頼報告のときに一緒に提出するものなのだ。それが、助成金は移動費についてしかないという。どうやらギルド、ひいては領主はあまりこの件を大事に思っていないらしい。
思わずため息も出るというもので、ゼルギウスも少し硬い表情だった。
「魔族がいるのだったら、討伐隊の方々は大丈夫なんですか? 魔族って、基本的には魔術に長けてるのに、その……失礼ですけど、あまり魔術に精通した方々には見えません」
「……ええ。そうですね。相手の魔族がもしサキュバスのような精神汚染に長けた者だと、ほとんど全滅もあり得るかもしれません。……俺はなんとかなるのですが、彼らはわからない」
「? ゼルギウスさんは、魔術をお使いに?」
精神汚染系――心属性の魔素を用いた魔術は、人間族だと適正があることが珍しいのである。シェスティはそれで少し驚いたが、ゼルギウスは苦笑してかぶりを振った。
「いえ、〈|個人技能《アビリティ》〉でして、魔術が効かないんです」
個人技能――生まれつき人は何らかの才能を授かっているものである。それは大抵、努力などによって得られる類のものではなく、中身も多岐に渡る。
「ま、魔術が効かない……?」
「はい。いかなる魔術も効かないものです。仮に、そうですね――魔族の中でもサキュバスが相手だったとして、彼女らによる誘惑というのは、結局〔催淫〕という魔術だと、魔術に詳しい友人に聞いたことがある。なので、俺自身は特に問題ありません」
シェスティと相対し、一定の距離でそれなりに会話をしながら、なお冷静さを保ち続けるその男性に、ようやく合点がいった。ゼルギウスには魔術が効かない。こうして会話しながらも、今なおシェスティの意志とは無関係に発され続けている〔催淫〕も、ゼルギウスにはなんの効果もなかったのだ。
「す、すごいですね」
「いや、俺自身は魔術が一切使えませんし、回復魔術も効果が遮断されてしまうので……こちらの薬には、世話になることと思います」
そういえば随分と回復薬が多かった。袋に薬を詰め終わると、彼にそれを手渡した。
「抵抗薬も、人数分買えるわけではありませんから、もし本当に魔獣だけではなかったら、この任務はかなり厳しいものになる」
彼は少しだけ重い顔をして、それからかぶりを振った。
「……不安にさせるようなことだったかもしれない。すみません」
「……いえ、その、うまく言えないのですが…………あまり、無理はなさらないでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
彼は出るときにまた礼をして、店から去っていった。その背中を見送りながら、彼女は募る不安に少しだけ身をこわばらせた。誰もいなくなった店内でもう一度ため息をつくと、奥で調合を行っているモニカに声をかけに行った。
その後ゼルギウスは何度か店を訪れた。周辺の調査の間にも、魔獣と遭遇することがある。それで回復薬が消費されていくのである。最近ではモニカが別の薬の在庫補充で忙しいので、回復薬を作るのはもっぱらシェスティの仕事になっていた。
解毒薬はギフト草の成分を〔|製薬《コンコクト》〕の魔術によって少し操作する必要があるのだが、回復薬はクライン草を煎じて煮詰めるだけのことしかしない。もちろん温度管理は必要なのだが、クライン草とギフト草の区別さえついていれば誰でも作れる品である。魔術を使わないで――つまり、シェスティに作れる薬は回復薬くらいしかない。
途中からゼルギウスが手にしていたのはシェスティが作ったものだった。必ずしも彼が使うというわけではないけれど、自分が作ったものを買って行かれるのが、なんだかすごく恥ずかしいような気がしてしまった。自分の作った回復薬は、モニカにもいい品質だと太鼓判を押されていたから、今までにも幾度となく売っていたというのに。