休み休みと言えど、昼過ぎには二つの地方の境界線であるヴァルタウ川の橋を渡っていた。
橋の上を歩きながら、シェスティは少しだけ悩んでいた。同郷のサキュバスに会いたくないがためにフェルトシュテルンから離れたのに、また戻ってきてしまった。元々は単にからかわれたくないと言う程度の軽い気持ちだったが、今、ゼルギウスと共にいる時に出会ってしまったら――。
「……このぶんなら、日が暮れる前に辿り着くはずだ。一度休憩するか?」
ため息をついたのを疲れたのだと思ったのだろうか、ゼルギウスがそう言った。
「あ……いえ、ごめんなさい。まだ歩けます」
「そうか。無理はするな」
双方口が上手いとは言えず、沈黙の多い行程だったが、シェスティに特に不満はなかった。悩むのはその時になってからにしよう、そう心に決める。どれだけ隠れようとしても会うときは会うのだ、と不安を呑み込んだ。
ゼルギウスの予測通り、二人は日が落ちる少し前にフェルトシュテルンの最東の村に着いた。
「まずは宿をとる。街道であまり旅人を見かけなかったから、おそらく空いているとは――」
「あっ――あんた、傭兵さんかい!?」
ゼルギウスが言い終わるか終わらないかのうちに、村民だろう、若い男がゼルギウスに声をかけてきた。何やらのっぴきならない雰囲気だ。ゼルギウスがそうだと言って、身分証でもある傭兵の証を出そうとしたが、それを見ないうちに彼は喋りだした。
「た、助けてくれよっ! 俺たちじゃあ、どうしようもなくって……!」
しどろもどろに言う男を一度落ち着けさせると、彼はごめん、と断ってから語りだした。
「ちょっと前くらいからなんだけどさ……村に魔獣が出てて!」
「魔獣……? この村に結界石はないのか?」
結界石とは、魔獣が死んだ後に残る核に結界魔術を閉じ込めたもので、低級の魔獣であれば近寄らなくするという効果がある。魔術が使える者がいなくても使えるため、対応する属性――光と土――が使える者がいない面子で旅をする場合は野宿のために持っているものだし、小さい村にはその管轄の町から支給がある。少々高価なため、ゼルギウスも持ってはいたがなるべく節約することにしている。
「いや、ちゃんとあるよ、機能してるんだけどさ、強いやつで、結界を超えちまうんだよ」
「ベルグシュタットで出ていたものと同個体ではないか? それなら、少し前に討伐したはずだが」
「いや、昨日も出たし、作物がちょっと荒らされた。……あんたさ、戦えるんだろ? うちの力自慢の奴らじゃ歯が立たないんだよ、だからさ、頼むよ」
彼は地に頭をつけんばかりの勢いで頼み込んでくる。しかしゼルギウスは眉間にしわを寄せた。
「……そういうのは、ギルドに一度依頼してからにしてくれ」
傭兵ギルドに所属している者に依頼をする場合は、ギルドを一度介さなくてはならない。
「み、皆そう言うんだけどさ! ……だめなんだよ、フィールファルベに行こうって思って村を出ようとするとさ、しばらく行ったとこでそいつが絶対出てきて、村に突き返されちまうんだよ」
そもそも結界を乗り越えられる強さの魔獣が出ることも異常だが、その動きは明らかに素の魔獣がとるものではない。
「魔族が噛んでいるか――」
ゼルギウスは呟いた。
「お願いだよ……ここ最近不安で仕方ねえんだ。まだ死んだ奴はいないけどさ、怪我人は出てるんだ。頼むよ」
若い男はまた頭を下げるが、規則があるのだろう、ゼルギウスも首を縦に振ることはできないでいた。
「……ゼルギウスさん、その」
シェスティが不安げに見上げる。
「……規則を破るとかなり厳しい罰則がある。ただでさえ向こうで要らぬ疑いをかけられた、あまり下手なことはしたくない」
彼は困っているようだった。眉間にしわを寄せて、頭を下げたままの村の男を見下ろしている。無視してさっさと宿を取りにいってもいいだろうに、彼の足は止まったままだった。
シェスティとしても、このまま放っておいてしまうことはしたくなかった。――どうしても。ゼルギウスだって、規則さえなければ容易く受けてくれるのだろう。そう信じて、彼女は口を開いた。
「あの、その……なんていうか、ゼルギウスさん、私たち、この村に泊まることになりますよね」
考えながら言葉を紡いでいく。
「……そうだな」
彼は首肯した。
「じゃあ、その、後ほど――にはなりますが、追加で報酬をお支払いしますから、えっと、安全の確保のために、この村を襲っている魔獣の討伐をお願いできますか? ……その、護衛の一貫として」
村の男がばっと顔を上げて、シェスティを見た。ゼルギウスはしばらく考えてから、
「……そうだな。そうしよう。依頼主の要望はできる限り叶える」
そう言って微笑んだ。
「あっ……ありがとうっ! お嬢さんも……よく見たらすごく可愛いお嬢さんもっ!」
どうやら戦闘能力が明らかにあるゼルギウスに気を取られて、今まで意識していなかったらしい。手を掴まれそうになって慌てて回避する。肉体的接触はよくない。ただでさえ歩き通しで疲れて魔力もあまり蓄積できていない。できたら〔解呪〕の回数は減らしたい。
「とりあえず宿を取りたい。どこにある?」
「こっちだ、案内するよ」
よほど安心したのだろう、話しかけてきた時よりも幾分彼の表情は和らいでいた。
「最近この辺通る傭兵さんがなんか少なくってさ……ほら、足の速い人だとここ素通りしてそのままもうちょっとフィールファルベに近い村に行けるだろ?
それに、さっきも言ってたけどさ、規則……なのかな、ギルドを通さないと依頼が受けられないってのもあって……ほんと困ってたんだ。よかったよ、受けてくれて」
「……あくまで彼女からの依頼だ」
ゼルギウスは淡々と返した。
幾分と経たぬうちにゼルギウスが依頼を受けたことが全体に伝わったのだろう、宿の女将は宿代までタダにしようとしたが、それは広義の報酬にあたり規則に反する可能性があるとゼルギウスは言って結局代金を支払った。シェスティも同様である。
魔獣が来るのはだいたい夜も更けた頃、月が真上に来た頃で、その時来なければその日はもう来ないのだという。シェスティは何かできることはないかと問うたが、休んでいて欲しいと返されるばかりであった。
「……そもそも、貴女の護衛が俺の仕事だ。貴女が安全な場所にいてくれた方がいい」
「そ、そうですね……」
ごもっともであり、シェスティは結局部屋で過ごすこととなった。今回も一人部屋を別々でとっている。
休んでいろとは言われたが、寝られないままに夜更けがくる。村は人の声こそするが静かなものだった。しばらくして、部屋のドアが叩かれる。
「……シェスティ、起きているか?」
「はい」
彼は戸を開けず、そのまま喋り続けた。
「今日の襲撃はなさそうだ。討伐をするならもう一泊することになるが……」
「ええ、はい……えっと、討伐しておかないと、またここを通る時に困りますから、今後のためにも」
必要かどうかはわからないが、一応建前をつくっておくことにする。
「そうだな。……明日は昼から周辺を回ってねぐらを探す。貴女は村で待っていてくれ」
「はい。何か村の手伝いでもして待っていますね」
「ああ。……じゃあ、今日はよく休んでくれ」
「はい、お休みなさい」
足音が去って行って、隣の部屋に人が出入りする音がする。彼の部屋は隣で、耳を澄ませば色々と物音が聞こえてくる。
(……うん。よし。寝よう……)
昨日泊った時は疲れですぐ寝入ってしまったためあまり意識していなかったが、今更ながら少し恥ずかしさがこみ上げてきた。物音から色々と湧いてくる想像を脳内で千切っては投げ、千切っては投げ。……結局彼女が寝入ったのは、もうしばらく後のことだった。