恋する淫魔と大剣使いの傭兵

一章 | 02 | 傭兵との出会い


 花の精力を受けとったことで、なんとか体力が回復したことを感じる。睡眠、食事。そういったことでも少しは元気になれるが、あくまで必要なのはこれだった。本当なら相手を生かしたままその養分を吸い取るような種族なわけで、命そのものを受け取っても大して力にはできない。人間族に例えるなら消化器官がその食べ物を効率よく消化・吸収するのに向いていないといったところである。なのでこの方法は、いうなれば勿体ない方法だ。相手はその命が早く尽きてしまう。シェスティも大してその命を有効活用できているわけではない。

 もちろん相手は植物で、断末魔の叫びをあげるわけでも、命乞いをしてくるわけでもない。そのことで罪悪感を覚えるくらいなら、町の男たちを全員食って・・・しまえばいいわけだが、それがどうしても嫌で。

 これは彼女の、わがままだ。

 体内で魔力として循環しはじめた魔力は、もはやもとの生き物の生命力として戻し、返してやることはできない。ごめんね、あらためて呟く。

(……さて、気を取り直してギフト草の採取、終わらせないと)

 そう思って立ち上がった時。

 薬草園の目の前を通る、小さな裏道。そこを一人の男性が通りがかる。

 小さな町で、だいたいの住民の顔は知っている。だから、彼が他所から来た人間だとはすぐわかった。

 遠目からでもわかる高身長で、非常に筋肉質。防具は胸当てや籠手といった最低限のもののようだが、背負った剣は大き目のもの、シェスティでは両手で持ち上げるのがやっとかもしれない。黒く短い髪で、洒落たという言葉は当てはまらない――質実剛健、そういった雰囲気。

 視線に気が付いたのか、男は彼女を見た。視線が合ってから一拍。

「――この町に住む人でしょうか」

 男が、口を開く。



 聞けばこの町の近辺で近年多発する魔獣被害に対応するため、領主の依頼で傭兵による討伐隊が結成されたのだという。彼はそのうちの一人で、他の隊員より先に町にたどり着いたため、宿の確保や下見といったことをしておこうと思ったが、その途中で迷ってしまったのだという。このあたりの村はあらかた襲撃を受けており、次はこの町が襲われるのではないかとは言われていた。

 テンベルクは、薬屋も面した大通りの他は全て住宅街である。が、その大通りがなぜか町の入り口には繋がっていない。これは高低差の激しい山間の土地であることも関係してくるのだが、どこにいても大抵大通りの声は聞こえてくるのに、住宅街が入り組んでいるせいで、慣れていないとなかなかたどり着けないのだ。住民でも、慣れない者に説明するのは少し難しい。

 シェスティは彼の様子を少しだけ観察した。彼女がそれと意図しなくても、サキュバスという種は生まれつきその体に刻まれた魔術紋によって、常に周囲に〔催淫チャーム〕をかけてしまうのである。これは一応魔術の一種なので、相手の魔術的な抵抗力によって効き具合が変わる。彼はどうやら話しぶりからして、彼はそれこそ今朝話しかけてきた男のように、抵抗力が弱くて、すぐに〔催淫〕されてしまうような面倒さはないようだと判断する。

「ご案内しますよ。口でお伝えするのが少し難しいですから、一緒に行きましょう」

「ありがたい……しかし、仕事の途中だったのでは?」

 彼は地面に置かれた籠を見やった。

「大丈夫です。時間には余裕がありますし、薬草つみが終わったらあとは店番をしてぼーっとしているだけですから」

 シェスティは小さく笑いかけた。それから、少し待っていてください、と断って、クライン草でいっぱいになった籠を持ち上げる。これだけ先に、店主に渡しておくことにしよう。

 普段の中くらいの籠でも、いっぱいになれば少し持ち上げるのに気合がいるのに、今日のように大きな籠だと思った以上に重かった。少しだけよろめく。魔力を得た直後でなければ、体の力がほとんど入らなくなってしまうから、おそらくこのままこけていた。あぶない、と胸を撫でおろした。

「……。失礼」

 その時、通りに立ったままだった男が、近づいてきた。そしてそのまま何も言わず、シェスティの持っていた籠をその手から奪っていた。

「あ、あの……」

 彼にとっては全く重いものではないのだろう。平然とした顔でシェスティを見下ろす。遠目からでも背の高い男だとわかったが、こう近くに立たれると、首が痛くなるほど見上げなくてはいけない。

「そちらの店に運ぶので、合っていますか」

「は、はい! ……すみません」

「いえ」

 はじめこそ戸惑ったものの、彼女本人としても、あと少しでこけて中身をそのあたりにぶちまけてしまいそうな気がしていたため、ありがたかった。

 裏口のドアをあける。

「モニカさーん!」

 声をかけると、店番をはじめていた店主が店の裏手へと顔を出す。そして男を見て、少し驚いたようだった。

「すみません、ギフト草の採取がまだ途中なんですが……この方に道案内を頼まれましたから、少し離れても大丈夫ですか?」

「ああ、そういうこと。すみませんね、手伝ってもらっちゃって」

「いえ。……籠はこちらでよろしいでしょうか」

 軒先に籠を置こうとして、モニカが首を振る。

「いや、それはすぐ使うし、中に入れといて欲しいね……そこに置いといてもらっていいかい?」

 彼女は裏手の一角を指さした。そのあたりには他の採取したばかりの薬草が置いてある。シェスティが来る前に、店主自身が採っておいたものである。男は失礼、と断って、そこに籠を置いた。

「でも、どうせ大通りでしょ? なんなら、店の中抜けてもらってもいいけど」

「いえ……道を覚えておかなくては」

 討伐隊の一員なのだ、と彼は語った。それから簡潔に、シェスティに先ほど語ったことと、他の隊員が後から来る予定なので、その時に道案内ができるようになっておきたいのだということを話した。

「ああ……そりゃまた、ありがたいね。でも、もう少しはやく来て欲しかったもんだけど」

 店主が顔をしかめる。ここ最近の魔獣被害は目に見えて増えていた。特に、小さな村がかなり被害を受けているのだ。滅ぼされるまでに至ってしまったのは幸いにして一つだけだったが、そこまでいかなくとも、被害を訴える村は多い。死人こそ滅んだ村以外では出ていなかったが怪我人は多い。なにより農作物が荒らされる。おそらく同一の群れによる被害であり、また噂でしかなかったが、魔族によって統率がなされているのではないかとまで囁かれていたのである。

 それなのになかなか本格的な騎士団の派遣がなかった。本来なら村が滅ぶような被害はこの町が所属する地区――ブルーメンガルテン地区つきの騎士団がすぐ派遣されるべきものだ。幾度となく陳情はなされていた。しかしながら具体的打開策はとられないままだった。この町にも一応ギルドの支部はあるけれど、傭兵ギルド所属の者はほとんど来ないから、なかなか問題が解決しない。それに一人や二人では対応しきれないだろうと考えられていた。今更すぎる――店主がそう言いたい気持ちも、シェスティにはわかった。

「しかも見たとこ傭兵さんだろ? 腕が信頼ならないって言いたいわけじゃないけどさ、……普通だったら、騎士様が来てくれるところだと思うんだけどね」

 はあ、と彼女はため息をつく。基本的に土地つきの騎士は入団試験もあって、剣術にも魔術にも長けた者しかいない。それに対して傭兵にはそういった制限はなく、ギルドに登録しさえすれば傭兵にはなれる。だから実力はそれこそ玉石混淆である。

「……そうですね。俺も異常だとは感じています。一応はブルーメンガルデン領主からの依頼という形で受けておりますが、騎士団の派遣を求める陳述はかなり出されていたようです。ギルドに対しても批判があったと耳にしております」

 確かに騎士団はその地区の安寧を脅かす重大な事件でしか派遣されないとされていた。逆に言えば、少々の魔獣被害であれば通常、傭兵ギルドに討伐依頼を出すのが慣例である。複数の村や町にまたがり、被害の拡大が予想されるような場合に、騎士団が派遣される。最早複数の村にまたがって被害が拡大しつつあるこの状況――要するに完全に後手の状態で、ようやく派遣されてきたのが傭兵部隊だというのは、確かにおかしな話だった。

 彼は特に言い訳もなく、彼女の言葉に頷いた。

「騎士団の方々には及ばないかもしれませんが、我々も善処いたします」

 そうして軽く頭を下げる。それを見て店主も少し申し訳なくなったのだろう。

「いや、傭兵さんが悪いってわけじゃなかったね。ごめんねぇ、八つ当たりして……」

「いえ」

 引き留めて悪かったね、店主はもう一度謝ってから、シェスティに道案内を任せて店番に戻った。

 通りを出てから、いくつかの道をゆく。すれ違う人は少なかった。時折遠く子供の声がするが、だいたいはもう仕事に出ているのだ。

「そういえば、……その、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 歩きながらそう男に問いかける。

「ああ、失礼しました。ゼルギウス=ゲルツと申します」

「ゼルギウスさん、……とお呼びしても?」

「はい、構いません」

「ありがとうございます」

 道案内のために話したことの他、交わした言葉はそのくらいだった。柔らかい言葉遣いだったが、あまり口がうまい方でもないのだろう。むしろ周囲に目をやって、この町の複雑に入り組んだ道を記憶しようとしていたようだったから、邪魔するわけにもいかない、とあえて黙っていた。

 道がわかっていれば数分もかからない距離だ。沈黙の気まずさに耐えかねることもなく、大通りへの道案内は終わった。

「他にも小さい道がありますが、あっちの方の立て看板に地図がありますから、そちらをご覧ください。それから、えっと、宿は向こうの……看板、見えますか?」

「はい。……すみません、ギルドの支部は、どちらに?」

「ギルドでしたら、宿から更に向こうの突き当りです」

「ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、籠、運んでいただいて」

 ぺこり、と頭を下げる。

「いえ、大したことではありませんから」

 彼も頭を下げた。では、そう言って薬屋――大通りの正面から行った方がむしろ早いだろう――へ戻ろうとしたところで。

「……あなたは、薬屋で働かれているのですよね?」

「? はい」

 ほとんど口を開かなかった彼が、声をかけてくる。

「きっと後でまたお伺いすることになるでしょう。滞在は少しの間ですが、よろしくお願いします」

 そう彼は言って、もう一度頭を下げた。それから今度こそ、では、と言って、宿の方へと向かっていったのだった。

 その背中を見送りながら、シェスティは思う。

(す、すてきな方だった……!)

 物凄く――物凄く、理想の男性だった。まさしく思い描いていた、『騎士』のような。

 この町には一応自衛団があるものの、所詮は町の腕自慢の男たちが、慣れない武器を持っているというだけで、数人がかりでか弱い魔獣を一体倒せるといったような程度。ああして、戦うことそのものを生業とした者を、シェスティはほとんど見たことがなかった。そういった事情から、少しばかりフィルターがかかっていたという部分は間違いなくあったとは自覚している。

 いや、それにしても、だったのだ。

 彼女はたまに行商人が訪れると、貯金を使って小説を買うのが一番の趣味だった。ジャンルを問わず読むのではあるが、一番は恋愛小説。そして特にお姫様と、姫に仕える騎士が身分差の恋に落ちるような話が大好き――というか、『ただ一人を護ってくれる騎士』という存在に憧れていたのである。まあ、ゼルギウスは騎士ではなく傭兵なのだが――。

 少しだけトリップし始めてしまったが、視線を感じてはっと我に返る。部屋で小説を読んでいるときのように延々と妄想に浸ることはできない。パッと気持ちを切り替える。物語のように恋に落ちたいわけではない。ただ――あんまり思い描いていたような騎士様のような雰囲気だったから、あこがれてしまっただけ。

 うん、とひとつ頷いて、彼女もまた歩き出す。少しだけ浮いた足取りで。

 帰ったらまた、あの小説を読もう、と一冊の本の表紙を思い浮かべる。モニカに使わせてもらっている彼女の部屋には、彼女の娘のものだろうか、空っぽのまま残されていた本棚があった。そこに今はシェスティによって、ぎゅうぎゅうに小説が並べられている。節制を心掛ける彼女の、唯一のお金を使う趣味だった。

(浸るのはお仕事が終わってから……気持ちを切り替えて頑張ろう)

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