恋する淫魔と大剣使いの傭兵

一章 | 04 | 魔獣討伐の結果


 周辺調査が終わり、いよいよ討伐に出る、と聞いたのは、それから更に数日後のことだった。

 彼らは町を勇ましく出発していった。傭兵団の中でも特にシェスティによく声をかけてきた男――要するに〔催淫〕に非常に弱い者だが――が、「もう大船に乗った気持ちで任せてください!」などと言ってきたが、もうその目は既に全く大丈夫ではない。この期に及んでシェスティを口説こうとするのに必死な――もはやそればかりで出発もしようとしない男にたじたじしていると、大柄な男が近寄ってくる。

「……何をしている。さっさと出るぞ」

 ゼルギウスは呆れたように言いながら、男を無理矢理引きはがして引きずって行く。離れる前にさっと〔解呪〕をかけてから、

「ゼ、ゼルギウスさん!」

 すぐ背中を向けようとする彼に、あわてて声をかける。男の首根っこを掴んだまま、彼は首だけをこちらに向けた。

「……お気をつけて」

 ありがとうございますと言うのもなんだか変な気がして、それだけ言ってぺこりと頭を下げる。彼はぎこちなく微笑んだ。

「ありがとうございます」

 まわりを見渡せば、盛大に見送ってやろうとするテンベルクに住む人々も、彼らが出て行ってしまった後は誰もが不安げな表情を隠しきれないでいた。シェスティもその例に漏れない。ゼルギウスは大丈夫なのかもしれない。でも、その他の人々は。

 ――そうして、その不安はまさに現実のものとなった。



 夕刻、門をくぐった討伐隊の隊員は二人だけだった。片方はほとんど自力で歩くことができず、すぐさまそれを見た住民らによって宿に連れて行かれた。もう一人もそれなりに傷を負っていたが、それでも自らの足で立ち、走ることさえできた。彼はその足でテンベルクの小さなギルド支部に報告に行った。

 ――魔獣は弑された。しかし、その場に現れたサキュバスによって、ほぼ全員が無抵抗のまま操られ、おそらくは殺された。魔術の効かないゼルギウスと、前もって抵抗薬を服用していた隊長だけが生き残った。しかし隊長は強い〔催淫〕を受け、今はほとんど自力での行動はできない。

 それがゼルギウスのした報告だった。

 テンベルクのギルド支部は、依頼元であるブルーメンシュタットの大支部と連絡を取りつつ、ゼルギウスに内通の疑いありとした。彼は反論したものの、精神汚染系の魔術を使う相手だったのだから言葉による証言が意味をなさない。

 もうとっくに店じまいをして、日が沈もうという薬屋に、ギルドの者とゼルギウスがやってきた。モニカは薬を処方するために、簡易の診察を行うことができた。この町には本格的な病院がないが、それで問題なかったのは、彼女の診察能力が確かだったからだ。

 その時にはシェスティは既に帰っていた。あまり夜暗くなってから帰るのだと何かと問題が増えるのである。

 それと知らないゼルギウスは、少し店を見渡してシェスティのいないことを確認する。あれだけ心配そうにしていたのだ、せめて自分は生きているし、魔獣自体は殺せたのだから、今後の襲撃を恐れる心配はないと伝えたいと思っていた。診察がそろそろ終わりそうだというところで、彼は小声でモニカに問いかけた。

「……店番の彼女は?」

「あの子はもう帰ってるよ。随分心配してたから、明日にでも声をかけてやってくれ」

 そうして彼女はゼルギウスの肩をぽんと叩いてから、後ろに座っていたギルドの男に向き直る。

「〔催淫〕された形跡は一切ない。私はこの男が内通したとは思えないけどねぇ」

 この件のためにブルーメンシュタットから派遣されていたギルドの男が、表情ひとつ変えずに返す。

「しかしながらご婦人、この男はあまりに傷が少ない。サキュバスを相手取ったなら、火傷の一つもあるのが普通ではないですか?」

「ですから、俺は〈技能〉で魔術が効かないと何度も言っているでしょう。ギルドにもそう登録してある」

 耐えかねたのかゼルギウスが口を開く。

「疑うならライムエル隊長が目を覚まし次第証言をとってくれればいい。一日も寝れば〔催淫〕もある程度解けるはずです。それに今回はギルドの側から指名があっての人選だった。魔族の関与が少しでも疑われるのならば、俺を含めあのような魔術に不得手の者ばかりを集めるべきではなかったはずだ。これはそちらの落ち度ではないのか」

 そう口数の多い男ではないゼルギウスが、苛立ちを露わにしつつ一息でまくし立てるのはかなり迫力があるものだった。ギルドの男は少したじろいで、しどろもどろに言い訳をする。

 それをほとんど聞かずに、ゼルギウスは勢いよく立ち上がった。帰らせてもらう、吐き捨てるように彼はそう言った。椅子がからんと音を立てて倒れる。

「……もう、アンタねえ、物に当たるのはやめておくれってば」

 そう言う店主も、怒りを体の内に抑え込んでいるのがありありと分かる。ゼルギウスは少し冷静になったのだろう、すみません、と小さく謝って、椅子を直す。

 結局ゼルギウスがギルドから解放されたのは翌日の日暮れより少し前のことで、隊長の証言と人選の不備もありお咎めこそなかったが、報酬は出ず、既に悪い噂も立ち始めていた。



 からん、と店の戸が音を立てて開いて、店番をしていたシェスティははっと顔を上げる。そこにはここ数日何度も目で追っていた長身の男が立っていて、シェスティを見ると生真面目に一礼をした。

「ゼルギウスさん! ご、ご無事だとは聞いていたのですが」

「すみません。ご心配をおかけしていたようでしたので、ご挨拶をと」

「そ、そんな、すみません。モニカさん……店長からご無事と伺っていたのですが、なんだかよくない噂が立ってしまったようで……」

 シェスティの耳に届く噂というのは、大概がモニカから聞くもので、その他は訪れた客の語るものである。それによれば、ゼルギウスがサキュバスに誑かされて生き残ったのだとか言われていた。店主自身は自分の診察の腕まで含めて疑われているようで気分が悪い。

「魔族の関与を考慮して抵抗薬を何人かに渡そうとしましたが、受け取ってくれたのは隊長だけでした。おそらく強い〔催淫〕だったのでしょう、それでも自我を失わずいられたのはこちら薬のおかげです」

「ありがとうございます。店長にも、後ほど伝えておきますね」

 そう微笑んで返すと、ゼルギウスも強張っていた表情を少しだけ緩めた。この店では奇異の視線で見られることがないこともあったのだろう。シェスティは知らぬことだが、実際ゼルギウスはいわれのない誹謗を受けはじめていた。

「今後は、どうなさるんですか? ブルーメンシュタットに戻られるのですか?」

「いえ、この町を出た後はそのままフェルトシュテルンの方へ向かおうと思います」

「フェルトシュテルンへ……?」

 テンベルクはベルグシュタット地方の中でも比較的東側に位置している。更に東に行くとヴァルタウ川があり、それを越えればフェルトシュテルン地方だ。

「はい。つい少し前まで、フェルトシュテルン地方を中心に依頼を受けていたので、どちらかといえばそちらの方が信頼があって顔がきくのです。ベルグシュタット地方でも活動していこうと思っていたのですが、この調子だとしばらくは難しそうですね」

「す、すぐに発たれるのですか?」

「……いえ、お恥ずかしながら、報酬が出る前提で薬を購入したりしたもので、当座の資金がないのです。なのでおそらく向こう一週間ほどは滞在することとなると思います」

 俺でも何かやれることがあるといいのですが、とゼルギウスは嘆息する。曰く、ギルドには銀行制度もあるのだが、預けた金を引き出すための本人確認として、ちょっとした簡単な魔術を使うのである。ほとんど誰でもできるような簡素なものなのだが、ゼルギウスは〈技能〉によって魔術を通さない体質であるが故に、その『ちょっとした』魔術でさえ行使ができない。そのため魔術による本人確認ができず、預けた支部でのみ引き落としができる、という形になってしまうのだという。フェルトシュテルンまでたどり着きさえすれば何かと都合がつくらしいが、そこまでたどり着くための先立つものがない。

「そう……そう、ですか。お仕事、あるといいですね」

 そう言いながら、シェスティは自分が「すぐには見つからないといいのに」と思っていることに気が付いて自己嫌悪する。はやくこの町から離れられた方が、ゼルギウスにとっては幸せだ。俯いてしまったのをどう取ったのか、ゼルギウスはやはり生真面目に礼を言って去って行った。

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