恋する淫魔と大剣使いの傭兵

二章 | 01 | はじめての旅


 ゼルギウスはまずフェルトシュテルン地方のフィールファルベという町へ向かうという。フェルトシュテルン地方の町の中では最西――今二人がいるベルグシュタット地方との境界線に近いところである。

 結局二人は契約を締結した次の日に出発した。前金とその他の準備はシェスティに払える程度だったし、それでもまだ貯金に余裕があった。その上店主が更に追加で祝い金をくれたから、シェスティの懐は温まっている。彼女は普段体型が出ないようなふわりとしたワンピースを着ていたが、出る時に日よけの代わりにもなるようフード付きのポンチョを購入している。

 馬車は使わずに徒歩だったのは、一応シェスティの希望だ。体力面に不安はあったものの、自分の足で歩いてこそ『冒険』だ、という気がなんとなくしていた。要するに形から入ったのである。

 二人は今、山がちの道を越え、だんだんとなだらかになってきた平野を歩いているところだった。テンベルクを出た時はまだ朝露に濡れた葉を見たが、もう日は真上にまできている。シェスティが疲れやすいため、かなりこまめに休憩をとってもらっていた。ゼルギウス一人ならば早朝に出れば夕暮れ時にはフェルトシュテルン地方の村に着くのだが、こうのんびりでは明日になるだろう。

「フェルトシュテルン地方に行ったことはあるのか?」

「ええと……ありません」

 彼の質問に、シェスティは少し嘘をついた。行ったことが全くないというわけではない。ただ、ほとんど出たことがないに等しいとは言える。というのもシェスティが知っているのは森の中だけで、そのほかはほとんど飛んで通り過ぎただけだ。

 フェルトシュテルンの南側を覆う森の中、そこにシェスティの故郷がある。
 だから行ったことがないというのは嘘といえば嘘だった。

「そうか。ベルグシュタットは山がちだが、フェルトシュテルンはほとんど平野だ。かなりかかるとは思うが、海を見るのも面白いかもしれん」

「海……」

 確かにシェスティは海を知らなかった。水辺といえば川くらいで、書物で想像するばかりだ。

「まあ、とにかくまずはフィールファルベに行く。……俺が少し前までいたのはフィールファルベでな、あそこなら金が引き出せる。海からは当分離れているが」

「えっと、その……どうしてベルグシュタットに? あの依頼のためですか?」

 そう問いかけると、ゼルギウスはかぶりを振った。

「いや、単に、そろそろ別の地方に行こうと思っただけだ」

 ゼルギウスは旅をしながら傭兵をやっているが、その先に何らかの明確な目的があるわけではないらしい。強いて言えば鍛錬といったところのようだ。

 その後あともう少しで完全に日が暮れるというところで、二人はなんとか小さな村に着いた。ベルグシュタットの最東端である。

 名もない小さな村だったが、同じようにフェルトシュテルン地方に向かう旅人が利用することもあるのだろう、それなりに手入れが行き届いていた。宿の女将にそれとなく問うてみたところ、魔獣が討伐されたという話はすでに入ってきているようだった。ただその経緯も一緒に伝わっていたのだろう、未だ村人は警戒を解いていないようだった。

 幸いにして、ゼルギウスの人相までは伝わっていない。テンベルクでは少々向けられていた奇異の視線も、特になかった。強いて言えばシェスティに対する|熱い視線《据わった目》があったが、この村はどちらかと言えば老年の者が多く、一晩程度では特に問題にもならなかった。

 シェスティの魔力の補給は、ゼルギウスが周囲を警戒しに少し離れた時や、こうして宿に泊まったタイミングで行う。流石に男女だということで、それぞれ一人部屋をとっていたから目を盗むのは外にいる時より簡単だ。宿の部屋には花が活けてあった。本来は根を張り地に植わっているものの方が生命力を自ら生み出す力もあって精力を貰うにはよいのだが、活け花とて死んでいるわけではない。萎れないように、最低限になるよう気を配りながら、その命を少しだけ貰う。

(ごめんなさい)

 それは毎度彼女がそうするとき考えていることだった。



 次の日の早朝にまた出発する。シェスティは朝に弱いので――というのも、サキュバスは|性質上《・・・》夜型なのである――ゼルギウスにノックで起こすよう頼んでいる。薬屋に勤めていた時は日が昇ってからしばらく寝ていたのだが、ほとんど夜明けと共に出発するのはシェスティにとってはかなりつらいものがある。

「……大丈夫か?」

 宿に併設された食堂で朝ごはんを採りながら、何度もあくびを噛み殺すシェスティを見て、ゼルギウスが少し困ったように言った。

「……い、いえ……ふにゃ……だいじょうぶ、です……すみません、ふぁ……朝、弱くって……」

 昨夜は疲れたのもあってはやめに就寝したというのに、やはり眠い。もう体の構造からしてそういうものなのだろうとシェスティは考えていた。実際には魔力量の少なさも関係していたのだが、シェスティは魔力が豊富な状態をあまり経験したことがないのでわからない。

 ゼルギウスはなるべく野宿をしないでいい距離はしないでおこうという考えであり、そのためシェスティ自身が大丈夫と言うならばそれを信頼すると言った。二人は結局、まだ夜明けの冷たい風が吹く中を歩いていくこととなる。

「すみません、私の体力がもう少しあったら、余裕をもって出られるのに」

 平原を歩きながら、ようやくあくびが止まってきたシェスティが言う。

「いや、俺は慣れている。万が一間に合わないと判断したら、担いで運んでいく」

 そう返すゼルギウスは、今も既にシェスティのぶんと自分のぶん、どちらの荷物も持っている。テンベルクを出た時点ではシェスティが自分で持つと言ったのだが、元々遅い歩行速度が更に遅くなるためほとんどゼルギウスに奪われた格好である。

「え、その……えっと、お、重たくないんですか?」

 そう問うと、彼はさっとシェスティを頭から爪先まで眺めた後、

「……貴女くらいなら、担いだまま走れる」

 と事もなげに言う。何なら試してみるか、と言われてシェスティはぶんぶんと首を振った。きっと顔は真っ赤になっているだろうから、見られないように少し俯いた。身長差があるから、おそらくゼルギウスには見えないだろう。

「えっと、その……体力は温存しておいてください……」

 やっとのことでそう返すと、ゼルギウスも納得したのだろう、そうだな、と淡々と返される。

 道中は比較的安全だった。魔獣はたまに出ていたが、あまり寄ってこないし、来てもゼルギウスが一刀のもとに切り伏せる。量も強さも、大したものは見かけていない。

「このあたりはあまり強い魔獣は出ないのですか?」

「ああ。友人が言っていたが、魔獣は大気中の飽和した魔素が凝固して生まれるものらしい」

 曰く、集結した魔素が多ければ多いほど強い魔獣になるが、人の集落があればその生活の範囲で魔素が消費され、その界隈で飽和する量は減る。そのため結果的に村の近くは魔獣は出たとしても大して強いものにはならないのだという。
 逆に集落、特にそれなりの規模の町から離れてしまうとどんどん魔獣は強くなっていく。村でも十分その効果はあるが、規模が小さいからたまに魔獣に侵入されることもある。

 だからなのか、この国、ティアラントでは案外町同士の間隔はそう空いていない。そのため、街道を通るぶんには、大して危険な魔獣は出てこないのだという。――とはいえ、その程度の魔獣であったとしても、シェスティ一人ではなすすべなく殺されてしまうのは間違いなかったが。

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