恋する淫魔と大剣使いの傭兵

三章 | 07 | 接触


 ――夜。

 久しぶりの一人の夕食。ゆったりとした風呂の時間。どことなく寂しい気もしたけれど、一人の時は気を遣わなくて気楽、というところもある。

 たとえば。

 シェスティが尖った耳を見て、ノルベールをエルフだと判断したように。シェスティの耳は、見られるとトールマンでないことがばれてしまう。
 ただ、耳でばれる――とは言っても、エルフと魔族では形が違う。エルフは長く尖った耳だが、魔族の場合は人間族とそう変わらない長さの耳なのだが、角が尖っている。

 耳は、種族の違いをどうしても示す。

 サキュバスは生まれつき人間族のどれかとかなり似たすがたかたちになるけれど、耳や、獣人に似た姿の者の場合は爪といった細かい部位の、どこかで違うところが生じてしまう。

 シェスティは髪で耳を隠していたけれど、見られたらトールマンのふりをした別のものだということがばれる。短く尖った耳は魔族の証だ。
 だいたいの、シェスティのように人間族の集落に紛れ込もうとする魔族は、魔術でその見た目を変化させる。けれど、そのためには常時姿を誤魔化すための魔術を使用し続ける必要がある。

 シェスティも、本当はちゃんと姿を変えたいのだけれど、常に魔力を使うことになってしまう。だから諦めて髪型で誤魔化している。

 村で襲われかけた時、後から考えればかなり危うかったのだ。耳元で言葉をささやかれたということは、耳をよく見られたかもしれないということで。幸い酔っていたし暗かったから、ばれていなかったようだけれど。

 一人の時は、そういったことに気を遣わなくていい。寂しい代わりに、気楽だった。

 部屋で一人、花の手入れと『食事』をしつつ、ぼんやりと空を見上げる。

 半月だった。もう幾分すれば満月になる。テンベルクよりも幾分賑やかなこの町は、夜になってもどこか明るくて、その分星が少ないような気がなんとなくしていた。それでも、雲一つない夜空は心が落ち着く。

 遠く喧噪を聞きながら、シェスティは思う。

 ――ああ、夜の町も見てみたかった。

 シェスティの生き方ではどうしようもないことだけれど、そう考えてしまうのも仕方ないといえば仕方なかった。
 お酒が飲みたいとまでは言わないが、せめてその雰囲気だけでも見たかった。今日だって可能ならついて行ってみたかったけれど、また迷惑をかけるわけにはいかない。

 むくむくと育つ好奇心に対して、強い諦めが心の中に吹き込んだ。わがままを突き通す代わりに、自由に動き回れることを捨てたのだ。これも一つの代償だ。

 月が昇る空に星がまたたく。あんな風に気持ちが晴れる日が来るのだろうか、などと。不意に考えた。
 その月に、少しだけ影がさした。雲ひとつない夜空のはずなのに。

(――え?)

 『それ』は間違いなく、シェスティのもとに近づいてきていた。尖った羽の姿をみとめた。近づくにつれてその輪郭をはっきりと認識した。
 ――窓を、閉めて。見なかったふりをしたい。そう思ったけれど、|彼女《・・》と間違いなく、目が合っていた。
 気づけば影は、窓の前で一時停止して、シェスティを見据えて口を開く。

「シェスティ、久しぶり」

 女の声。聞き覚えのある、声。

「エーレリア……」

 空を飛んでやってきたのは、同郷のサキュバスだった。せめて変な目撃情報を残さないために、彼女を部屋に招き入れる。エーレリアは素直に従ってくれた。

「どう、したの」

「んもー、怖がりすぎよぅ、シェスティ。……ってあなた、何、魔力なさすぎない? 大丈夫、生きてる?」

「生きてるよ、生きてるってば……」

 肩を掴まれてがしがしと揺らされる。彼女は比較的、シェスティの憧れに理解のあるほうだった。といっても、馬鹿にしない、という程度のことだったけれど、シェスティにとってはそれがとてもありがたかった。

「城を出た後は基本不干渉――じゃなかったの?」

 これはフェルトシュテルン地方のサキュバスにとっての習慣だった。もっと城単位でまとまりをもって動くところもあるらしいが、フェルトシュテルンの女王は基本的に放任主義なのだ。

「んー、そうなんだけどね。『招集』があったのよ」

 そう聞いて、シェスティは知らず体が強張った。

「……なにかあったの? 女王の身に……」

「いや、女王は健在――なんだけどね。えっと、ちょっと長くなりそうなんだけど」

 彼女の語るところによれば。

 ベルグシュタット地方のサキュバスが、魔獣を町や村にけしかけて『遊んでいる』のだという。ついでに領主を篭絡して、その問題に適切な対処がなされないようにしている。

「あ、テンベルクでもあった……」

「ああ、そんな名前の町もあったっけ。うん、そう、その他にも結構おっきい被害になってるのよ」

「でも、ベルグシュタット地方だけなら、私たちに招集がかかるのは――」

「いやあ、それがね、あいつら、なんか調子に乗っちゃって。フェルトシュテルンでも遊び始めちゃったの」

 基本的にサキュバスは地方ごとにその拠点となる城があって、なんとなくではあるが、お互いの領域には不可侵ということになっている。要するに「遊び場は決めておこう」ということだ。
 シェスティのように、およそサキュバスとは思えないような生活をしているとか、ほとんど人間たちに紛れ込んで一人の者と寄り添っている――というような風なら見て見ぬふりをされることが多いのだが、大っぴらに人の集落全体を巻き込むような『遊び』は各々の領域の範囲でなくては許されない、ということにしているのである。

 好き勝手してしまうとすぐ人がすっかり堕落して、最終的には|食事処《・・・》がなくなってしまうかもしれない。

「女王が代替わりしたばっかりでねぇ、ちょっと加減がわかんなくなっちゃってるみたいなのよ。
 まだ被害が出てるのはベルグシュタットに近いちっさい村くらいなんだけど――」

 そう言われて、シェスティはフィールファルベに辿り着く前に行った村で遭遇した、魔獣被害のことを思い出した。

 ――魔族の関与。ゼルギウスはその可能性を口にしていた。

「あれ、|フェルトシュテルン《うち》のひとたちじゃ、なかったんだ……」

 シェスティが安堵と共にそう口にすると、エーレリアは少しばかり憤慨した調子で、

「あったりまえじゃない! なんであんな非効率的で趣味悪いことしなきゃいけないの」

 と返された。――フェルトシュテルン地方のサキュバスは、少しプライドが高いのが多いとか、サキュバスの中では言われているらしい。

「とにかく、それでね。流石にこっちに手出すのは見逃せないし、あと、人間族を変に堕落させようとするのもちょっと気に食わないってことで、女王が|懲らしめに行く《・・・・・・》って言いだして」

「えーと……本気?」

 それは『本当にやるの?』という意味ではなく、『どのくらいやるの?』という意味での問いかけである。

「割と本気」

 そう返した同郷のサキュバスは、どことなく「ご愁傷様」とでも言いたげな雰囲気だ。

「ね、シェスティ。今から私も戻るところなんだけど、一緒に行こう? そんなに魔力のない体じゃ大変でしょ? 城なら|食事《・・》も十分にあるし」

 そう言われて、シェスティは首を振った。

「その……みんなに、伝えておいて欲しいの。私、やっぱり、そのー……えっと、すきなひととがいいって、いうか……それでその、魔力がないから、力になれないから……」

「ああー……やっぱり、それなんだ。うーん……」

 エーレリアは少し悩んでいたようだった。

「えっと……アタシもね、女王から、シェスティのこと、絶対連れてこいて言われてて……」

「えっ……|お母様《・・・》が?」

 シェスティは驚いて、思わずそう問い返していた。

「うん、そうなの。女王直々で。……まあ、しかたないかしら。招集の期間はそれなりにあるから、とりあえず説得してみるわ。ダメだったらまた来ることにするけど――あんま、期待しないで?」

「……ごめんね、エーレリア」

「いいのよ、別に。……じゃ、とりあえず行ってくるわ。そろそろ、あの傭兵サン、帰ってきちゃいそうだし」

 そう言って、彼女は来た時と同じように窓をさっと抜けると、挨拶もそこそこに飛び立って行った。

(……お母様が、わざわざ私を……)

 散々その倫理観について矯正しようとしていたようだったが、結局喧嘩別れのような形で成体となるとともに逃げてきてしまった。招集の時も魔力がなくて戦力外だと言えば仕方ないと切り捨てられると思っていたのだが。

(……やっぱり、ほかの子に女王を譲る気、ないのかなあ……)

 女王の子はシェスティしかいない。そもそもサキュバスはほとんど子をなさない。

 サキュバスには人間族のような避妊は必要なくて、魔力を吸収しないように意識して精液を体内に取り込めば妊娠する。逆に言えばかなり意識しないと子をなせないのがサキュバスという種族である。

 大抵のサキュバスは、面倒だし、なにより勿体ないということで子作りを行わない。そのうえ相手が人間族だった場合、産まれるのは魔族ではなくて人間族になってしまうため、淫魔の子が欲しければ、インキュバスと交わらなくてはならないのだが、彼らとの行為は魔力供給効率が悪いので普段は互いに関わろうとしていない。

 そういう事情で、余計にサキュバスは数が少ない。

 ただ――なんとなく生命の本能として、ある程度歳をとってくると「まあ一人くらいいてもいいかな?」という気持ちになってくることもあり、気まぐれでつがいとなるインキュバスを見繕ってきたりするのである。

 女王というのはそうした子を城で育てる役目を担っている。育児が好きなサキュバスもいないではないので、そうした者が城に残る。

 城に残っていた成体のサキュバスには、女王ほどでないにしても、かなり力の強い者も多かった。彼女らか、彼女らの娘でいいじゃないか――とシェスティは常々思っている。

 思っているのだが、女王は昔から常々シェスティに、お前が次期女王なのだから、と言ってきていた。

(……ああ、行きたくないなあ)

 食事がある、というのは、つまるところそういうこと。篭絡されて拉致された男たちがいるということ。

(お母様がまだ諦めてないとは思ってなかった……)

 エーレリアの来訪からほどなくして、ゼルギウスが帰ってきた。物思いにふけっていたシェスティは、珍しく出迎えを忘れていた。

 部屋のドアがノックされて、「……シェスティ?」と問いかけられる。

「あっ……おかえりなさい。おもったより、早かったのですね」

 まだ|夜の鐘が鳴ってそう経っていない頃《夜九時すぎ》だ。もっと遅くなるのかと思っていた。

「ああ、ノルベールの宿に、門限があるらしくてな。……寝ていたところか? 起こしてしまったならすまない」

「あ、いえ、少しぼーっとしていただけなんです。大丈夫です」

 寝間着に一枚上着を羽織ってから、ドアを開けた。ゼルギウスが気づかわしげな表情で見下ろしていたから、微笑んでみせたものの、ゼルギウスは普段のように微笑み返してくることはなかった。

「……何かあったか?」

 硬質な声で、表情は変わらずに。そう問い返されて、答えに窮す。

「え――と、いえ、特に――」

 まさかサキュバスが訪ねてきたと言えるわけもなくて、曖昧に誤魔化した。

「本当にか? 玄関を何度も叩かれたりとか、壁をよじ登って窓から侵入されかけたとか――」

「いえ、いえ、違います、そんなことはないですっ、静かな夜でしたっ!」

 若干当たらずとも遠からず、なことを言われて、まさかばれてはいないはずなのに、なんだか焦って必死に弁解してしまう。
 そんな自分がどこか滑稽だな、と気が付いて、なんだかおかしくなってしまって、つい笑ってしまった。それでやっと、先ほどまでの自分の表情が、どこか強張っていたことに気が付いた。

「……そうか。ならいい。なにかあったら、言ってくれ」

 シェスティの表情を見て、ゼルギウスもようやく表情を緩めた。

「風呂の湯は残っているか?」

「あ、はい、一応。沸かし直しますか?」

「いや、かなり飲んだからな、体を拭くだけにしておく。貴女も、もう寝る準備をするといい」

 彼はそう言いながら、何気なく。――本当に何気なく。いつも通りの世間話の流れという風に。
 手を伸ばして、シェスティの頭を撫でた。
 ほんの少しの酒の匂い。大きな手のひらの感触。

 ――顔に、熱が集まって。

「あ、はっ……はいっ!?」

 思わず声が裏返ってしまったのを、変に思われなかっただろうか。……いや。
 その声でぱっと手を離したゼルギウスは、少し目を大きく見開いていた。

 ――思われた。絶対に変に思われた。

 思わず俯いて視線から逃れる。頭から暖かい感触が離れていって、――それが少し名残惜しいような、ほっとするような。

「………………おやすみ」

 言うが早いか、ぱっと彼は背中を向けて、そのまま足早に風呂場へと向かった。

「お、おやすみなさい……」

 その背中にかけた声は消え入るようなものになってしまった。

 ふらふらとした気持ちのまま、部屋のドアを、ぱたんと閉めて、

(……い、今の何今の何今の何ーーーッ!!)

 ひとり。心の中で絶叫するのだった。

←Back Next→


よければ一言いただけるととても嬉しいです。