非動物的魔獣との生活日記

01


 私には、何もなかった。
 万能の力も。自らを支える家柄も。何らかに特化した才能があるわけでもなく。ただ、他の人間と大差無い、凡庸な素質があっただけ。
 だからこの物語は英雄譚にはなり得ない。
 世界の端っこでつづられる、緩やかな日常の物語だ。



 物心ついた頃から、愛を込めて名を呼ばれた記憶は無い。薄ぼんやりとあった『前世の記憶』らしいものに、エピソード記憶は無く、ただ謎の中途半端な知識があるだけ。
 私の一番古い記憶は、魔力を測る儀式の時だ。
 この国では誰もが五つの時、水晶を用いて自らの魔力を測る。手を触れれば用いることのできる属性に応じて水晶が光る。
 私の色は、紫。それはこの村で、最も忌避される色。
 ――契約魔術。私の魔力は、それしかできないことが、紫一色に染まった水晶が示していた。

 王都より遠く離れた辺境の村。自らが属する国の首都よりもむしろ隣国の首都の方が近いここは、むしろ元は隣国の領地であり、その影響も隣国のものの方が近い。それゆえ創世教の教義を頑なに護ろうとする。
 曰く。いかなる生物も神のつくりたもうた作品であり、そこに上下はなく、よって人が生命を従えることは許されない。
 この村に家畜はいない。生きとし生けるもの、すべて平等なる友である。
 契約の魔術は、実際のところ、他の生命と従属関係を結ぶものだ。だから、その存在が許されていない。

 幼き私は思った。――なら何故、神はこの魔術をつくったの。
 そう問えば殴られる。神を疑うのかと。
 ならば使役の魔術を用いる人を迫害するのは『生命を従える』とか『平等である』というのと矛盾しないのかとかなんとか、突っ込みたいところは多々ある。けれどそういうことを考えてしまう小賢しさが、周囲の人間をより迫害に走らせたらしい。
 これは異世界転生――『前世の記憶』がそう称した――の弊害、なのかもしれない。

 まあ、迫害と言えど食事は出た。これは必要以上に命を奪うことは神の作品を敢えて穢すことであるとかいう教義のためである。たとえ殴られたとしても蹴られたとしても追い出されたり殺されたりはしなかったのも、そのためだ。

 それでも脆弱な子供であるからこその保護は、大人になれば、その理由も失ってなくなるだろう。そうなったときこの村は、苦痛しか呼ばない地獄の土地である。
 だから、十の誕生日の日、私は逃げ出した。助けられる人のない、この地から。



 幸いにして晴れ、装備は小型のナイフのみだけだけど、剣と名のつくものは扱えそうにない。……私は同世代よりもすこし、小柄だった。

「まずは……食料を確保しなくちゃ」

 村近くの森は、幼い頃からお世話になっていた食料の宝庫である。食べられる木の実とかのことは、よく把握している。
 『前世の私』は驚くほど平和な生活を送っていたらしく、全く参考にならない。生き残っていくための知識はここ十年で得たものだけだ。

 どこに行けばいいかとかは、よくわかっていなかったけれど、太陽が昇るほう、つまり東側の山向こうが、神を崇めるサヴィリ神国だということだけはわかる。だからとりあえず、行き先はその反対へ。森は太陽の沈む方へ、ずうっと続いていた。

(あとはできたら、魔獣と契約したいな……)

 村では御法度の契約魔術も、生き残るためには必要だ。そもそも他の属性の魔術を行使できない私には、身を守るすべが他にない。
 もちろん、戦えなくては、そもそも契約まで行き着けないのだけど……。

 森で生活の糧を得るなかで、素人とはいえ、スライムとかホーンラビットくらいの弱い魔獣なら落ち着いて倒せるくらいの経験は積んでいる。群れで襲われたら危険だが、一対一なら問題ない。スライムとなら、契約はできるだろう。
 とりあえずスライムと契約できれば、スライムの持つ危機察知能力で事故を避けられるようになるはずだ。
 ホーンラビットも危機察知能力はあるし、加えて食料になる草を判別できたりするのだが、私と食料が共通するのが難点。契約した魔獣にも食べるものは必要だから、そのあたりには気を遣わなくてはならない。その点スライムは優秀だ。石とか、私にとってご飯にならないものでも食べてくれる。

(まあ、そっちは運が良ければ、だね)

 この森はそれなりに人が入るから、そんなに魔獣も出ない。スライムともたまにしか出会わない。
 とりあえず少し奥を流れている川に向かいつつ、木の実を集めていこう。



 旅の必需品といわれるものに、マジックバッグがある。魔術により中を拡張させた鞄で、見た目よりたくさんの物が入り、重さも軽減される。旅は何かと物入りだから、旅人はまず旅仕度にこれを買うものである……らしい。

 けれど、さして裕福な村でもない村で、迫害されて育った私が、そんなものを持っているはずもない。
 なんでもないボロの鞄は、当然、すぐいっぱいになるしすぐ重くなる。どうにか木の実はそこそこ集められたけど、火打ち石も必要だし、水筒を入れるスペースも必要だ。
 水くみなんかは任され続けていたから同世代の子よりかは力がある自信があったけど、もう少し大きくなってから家出したかった。言っても仕方ないことだけど。

(とりあえず……、川は西に流れてるから、しばらくは川沿いを歩こう)

 川沿いは少し開けているし、他の魔獣が水を飲むためにでてくる危険性もあるのだが、よほど攻撃的な魔獣でなければ、契約魔術である程度攻撃性を軽減できる。無理に契約しようとすればかえって襲われるが、弱い契約魔術によって話し合いをするのである。交渉の仕方は相手によって様々だけど、向こうにもきちんと知性があるもので、案外それでどうにかなる。
 中には暴力的なものもいるから、用心し、出会わないに越したことはないけれど。



 水の音が聞こえてきた。
 ここまで出会えたのはホーンラビットばかり。魔獣は死んだ瞬間体を構成する魔素がほどけてしまうから、ご飯にはならない。霞ならぬ、魔素を食べて生きる、ということはできないというわけである。
 動物……野ウサギでも出ればいいのだが、ホーンラビットのように好戦的ではない、むしろ臆病なものだから、その気で罠でも仕掛ける必要がある。
 そういう知識は生憎ないから、しばらくは木の実生活だ。つらいものがあるが仕方ない。

 川辺に着くと、ようやく目当ての魔獣に出会えた。単独で水を飲みにきたスライムだ。
 下流の方で、ぽよんぽよんと跳ねて移動し、触手を伸ばして水面につけている。こちらに気が付いているかどうか、定かではない。少なくとも敵意はなさそうだ。
 魔力を練り上げて、契約魔術を行使する。まずは対話から。

『……すみません、そこのスライムさん』
『?』

 少し先にいたスライムが触手を引っ込めて、ぽよんとひとはねする。逃げるわけでもなく襲われるわけでもなさそうだ。安心して続けることにする。

『もしよかったら、私と契約してくれませんか? 一人で生きていくのは大変で。魔獣を探すのを手伝って欲しいのです』
『――? ――』

 スライムはしばらく頭上で泡をしゅわしゅわとしていたが、やがてぽよぽよと跳ねて傍に来てくれた。
 魔力を込めて《契約》を発動すると、薄い光がスライムとの間に繋がった。

『ありがとうございます! えーと……』

 魔獣には契約の際に、名前を付けることができる。付けなくてもいいのだが、名前はそのものの持てる力を引き上げると言われているから、ちゃんと考えてあげるのが普通だ。

『えーと……』

 ただ、予定はしていたはずなのにいざ契約できると名前の案が全くない。透き通った水色のスライムさんは、光の線に繫がれたままじぃと私を待っている。
 ……うん。ごめん。

『アオ、に、しとこう……』

 『前世』の知識をもってして全くセンスのある名前が思い浮かばず、結局見たままのものになってしまった。
 この国で使用されている言語は、知識にある『日本語』とは文法、発音がかなり違うから、アオという名前だけで安直なものとは思われないとは思うけど……。

 私のため息とは裏腹に、アオは嬉しそうにぽよんと跳ねた。正直、警戒心の薄すぎる子のようだから、お供としては力不足かもしれないけど、名付けで多少は底上げされるだろう。
 元から警戒心の強い子はそもそも見つからなくて契約ができないだろうから仕方ない。

「じゃあ、よろしくね、アオ!」

 そう口に出して声をかけると、アオは大きく跳ねて、私の頭の上に乗った。

「襲ってきそうな魔獣がいたら、教えてね」

 そう言うと、アオは触手をだして私の頬をつんつんと突いた。これで教えてくれる、ということだろう。

「うん、ありがとう。なるべく隠れて進もうね」

 無事旅のお供を得て、私は隣村へと急いだ。

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181127 掲載 181129 一部修正


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