非動物的魔獣との生活日記

02


 どうにか、隣村までたどり着くことができた。
 魔獣以上に、森の中で村の人間に遭遇するのをおそれていたのだけれど、杞憂だったようだ。
 少し心配していたアオの危機探知能力も、契約してみれば何の問題もなかった。むしろ、少し過剰なくらい遠い存在を察知してくれる。

「全然、あぶないことなかったね。アオのおかげだ!」

 そう言うとアオは誇らしげに頭の上でぽよんと跳ねた。

「でも、美味しそうなもの、全然食べられてないよね。……ごめんね」

 元々そういうつもりでホーンラビットではなくスライムを選んだのだけれど、こうしてよく働いてくれたとなるとなんだか申し訳ない気持ちが出てきてしまう。
 それでも木の実の数に余裕はなかったから、アオには石とか葉っぱとか、私が食べられないものばかり渡していた。
 それでも嫌がる様子はなかったのだけれど、一度途中で木の実がたくさん取れた時、一つだけアオにあげてみたら、てっぺんをしゅわしゅわと泡立たせていた。契約魔術でできたラインでも、嬉しそうな感情が伝わってきたし、やっぱり食の好みはあるのだろう。

「とりあえず、村で落ち着いたら、何か食べようね」

 アオはまた、ぽよんと跳ねた。

 隣村まで来ると、宗教の色は随分薄くなる。
 間に森があるものの、踏み固められた街道を通れば障害のない道なのだけれど、どうやら元々は国境線が私が通ってきたこの森にあったらしい。それが山まで広がった(サヴィリ神国側から見れば、後退した)のは、村の老人たちが若かったころの話。つまり、ここ四、五十年のことだ。
 それゆえ、大人ならば晴れた日の早朝に出て急ぎ足で行けば丸一日で着けるような距離――子供の足でも、安全な場所を探すために余裕をもって行動して三日程度の距離でも、かなり文化が違う。

 どうしてそんなことを知っているかというと、村の老人たちが、「隣村は獣を飼っている」「神の作品を我が物顔に」「これだからシュロピアの者は」――とか言って、事あるごとに貶していたからである。
 隣村に安心して私が向かうことができたのは、そういう事情を知っていたからだった。


 昼間とは言え、スライム一匹だけを伴った汚らしい幼子一人で現れた私のことを、ネーベ村の門番はいぶかしんだようだった。

「君、名前は?」
「クロエです。こっちは、契約魔獣のアオ」

 とりあえず、本名を名乗る。それから頭の上にいたアオを指して、そちらも紹介しておく。
 おそらくシュロピア王国の中で契約魔術を嫌悪するのはうちの村くらいのようだから、これだけで迫害されることはないだろうと考えて隠したりはしていない。

「どこから?」
「えっと……隣、ウェトム村から」

 彼は露骨に顔をしかめた。

「えぇと……十歳くらいの女の子が、三日前くらいに迷子になったって話が来ててね。見つけたら村に帰してやってくれって話なんだけど、もしかして……」
「げ……」

 存外、探されていたらしい。正直に言うことはなかったかもしれない。どうしよう、逃げられるだろうか。流石に、既に発見された状態から大人をまくのは難しいだろう。
 私の緊張を察してか、頭上でアオがぷるぷると震える。
 しかし門番は、しばらくアオを見つめたあと、はぁとため息をついた。

「……なるほどね。契約魔術持ち……そういうことか」
「あ……えっと……」
「怖がらせてごめんね。無理に引っ張ってったりはしないから、ちょっと村長に相談する時間だけ、もらってもいいかな」
「はい」

 どうやら、アオのおかげで悪いことにはならなさそうだと判断し、素直に頷く。それを受けて、彼は私を村の中央にある広場に案内した。

「……大丈夫かなあ、アオ」

 畑仕事や家畜の世話に精を出す村の人々の視線に晒されながら、私はアオと二人、ベンチに座って足をぶらぶらとする。膝の上に移動してきたアオは、ぽよぽよと跳ねた。あまり気を付けるべきことのない時の動きだ。
 しばらくすると、村長――とは言っても、私の村よりは幾分年若い男性が、先ほどの門番に連れられてやってきた。門番は案内を終えるとすぐに村の入り口へと戻る。

「君がクロエちゃん、で合っているのかい?」

 話しかける声は優し気だった。素直に頷く。

「いやあ、隣村で契約魔術持ちが生まれたという話は聞いていたよ。それもそれしか使えないのだとね」
「…………はい。その、あの……なので……帰るのは……」

 私が俯き、体を縮こませてそう言うと、アオも心なし縮んで私に合わせる。それを見て村長は笑みを深めた。

「ああ、安心してくれ。この村も、よく馬と牛を今すぐ解放しろとか言われて迷惑していて……いや、つまり、君の村とは仲が悪いんだ。だから、君が来たことは内緒にしておくよ」

 それを聞いて、ようやく安心することができた。

「ありがとうございます」
「いいや。……むしろ、今まで助けてあげられなくて、すまなかったね」

 具体的にどんな境遇だったかは知らないようだが、なんとなく察しはつくのだろう。隣村が、優しいところでよかった。
 ――と。ぼろ、と、目から涙が落ちた。

「……え、」

 一度こぼれだした涙は、堰を切ったようにとめどなくあふれ出してきた。膝の上で、アオがゆらゆらとその雫を受けている。
 ……思えば。物心ついてから優しい言葉など受けたことがなかった。
 それに堪えられたのは、『前世の私』の意識のようなものが、親や村長といった人たちの会話を理解した上で、「これが世界のすべてではない」と判断していたから。――そう、信じていたから。
 ……それでも。そうであったとしても。私は――クロエは、所詮十年そこらしかない人間で。

「村長、あんた何女の子を泣かせてんだい!」
「いや、これは……」

 泣いてしまった私を見て、たじたじとする村長がいた。彼をたしなめる人がいた。よしよし、と背中を撫でてくれる人がいた。可愛いスライムだね、と私の魔術を肯定してくれる人がいた。
 ――あぁ、やっぱり、優しい人だっているのだ。



 泣き終わった私は、急に体の疲れを感じだした。村長が、子供が独り立ちして空いた部屋を使わせてくれると言うので、しばらく休ませてもらうことにした。
 久しぶりの落ち着いた睡眠は、思ったよりも長引いてしまった。寝付いたのは昼過ぎだったと記憶しているが、目を覚ました時には外は真っ暗。月は中天を過ぎ、もう幾分すれば日の出が見れるだろう。

 アオはずっと前から目覚めていたらしい。普段から睡眠をとっている様子がないから、もしかしたら睡眠を必要としないのかもしれない。
 部屋を出て居間へ行くと、食卓の上にメモ書きと火の魔石が置いてあった。

『クロエへ。
 お腹が空いているだろう。戸棚にパンが入っている。鍋には少ないがスープがあるから、温めて食べなさい。水は井戸からくんできたものが甕の中に入っている。
 私は火の魔術が扱える。魔石は出て行った息子が置いていったもので、使い道がなくなっていた。気にせず使うといい』

 火の魔石は貴重なものだ。火打石だってあるはずなのに、わざわざそんなものを出してくれたらしい。
 悩んだが、ここで好意を受け取らないのも、悪いかもしれない。しばらく考えた後、ありがたくいただくことにした。黒パンは硬かったけれど、温かいスープと一緒に食べれば美味しかった。残ったスープは一杯分だったけれど、骨の付いた肉が一つ入れてあった。わざわざ、美味しいところを残してくれたのだ。
 こんなにまともな食事は、久しぶりどころか、もしかすると物心ついてからはじめてだったかもしれない。

 ……しかし、突然来て図々しくも何の見返りもなく小さな村の食料を奪うわけにはいかない。このあたりはシュロピアの中でも辺境で、物資も豊富ではない。明日からは、私でも手伝えることを探さないといけない。
 そして、一宿一飯の恩(という単語が、『前世の知識』から流れ込んできた)を返したら、すぐにこの村を出よう。
 ――ここはまだ、友好とは言えなくとも故郷と直接的関わりがある場所だ。長期間、腰を落ち着けることは得策ではない。

 私は知れず、ぎゅっと拳を握りしめていた。

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国の名前とかは結構大雑把に決めています。

181203 掲載


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