確かに、ノルベールからもらったペンダントは効力を発揮しているようだった。
変な視線は随分と減って、今までそういった視線に付きまとわれ続けていたシェスティにとっては新鮮なものに感じられた。あくまで外に〔|催淫《チャーム》〕を放つのを防ぐだけのものであって、〔催淫〕自体が止まっているわけではないため、魔力消費と戦わねばならないのは相変わらずだけど。
喫茶店では、時折片付けで表に出る際でも緊張せず済むので助かっていた。「そのペンダントは誰から?」とにやにやとゾフィにつっつかれ、困ったように微笑んで返すしかできなかったのは少し困ったけれど。
そうなると、送り迎えについては、やめてもらうこともできたのだが――。
ペンダントの効力を確認した日の夜、ゼルギウスの負担を減らすために、それとなく提案したところ。
「あの、ゼルギウスさん、その……今更ですけど、やっぱり、迎えに来ていただくの、負担ではありませんか?
受ける依頼も限られてしまいますし。私ひとりでも、多分、大丈夫ですから――」
なぜ大丈夫になったのかということは、説明することはできない。だからぼかしてそう言った。
しかし彼はじっとシェスティの目を見つめた後、
「……迷惑だろうか」
と、真顔で返してきた。
「えっ……い、いえ! むしろ来ていただけるのは嬉しいですっ!」
動転してそう返したけれど、妙に恥ずかしくなって顔を隠そうと俯く。
それに対して、降ってきたのは少し和らいだ風の声だった。
「なら、いいだろう。別に負担でも何でもない。……俺がしたくてしていることだ、気にしなくていい」
そうして、ぽん、と頭に暖かな感触があって――それが彼の手だ、とシェスティの頭が認識する前に、離れる。
(――!? !!!!?????)
シェスティが声にならない叫びをあげている間に、ゼルギウスはさらりと離れて「おやすみ」と言い残し部屋へと去って行った。
――そういうことがあって、そのままこの話はうやむやになり、送り迎えはずっと続けられている。
そうして。日々が過ぎてゆき。
フィールファルベに滞在するのも、残り一廻という日になった。
シェスティの部屋に、窓から手紙が差し込まれていた。封筒には、お世辞にも整っていない字で、エーレリアと雑に差出人の名が書かれている。
『あの傭兵サンに見つからずお話するのが思ったより難しそうだから、手紙で失礼するわ。
ごめんね、やっぱり女王の説得は無理だった。なんか、思ったより強情ね。まあ、あなたは次期女王だから仕方ないかしら。
三日後の夜の鐘の頃に、フィールファルベから一番近い森の入り口で待つ、って女王が。これで来なかったら次はじきじきに迎えに来るって言ってるわ。……諦めたほうがいいかもね』
文面を見て、思わずため息が漏れる。女王はエーレリアのように、こっそりと来てはくれないだろう。おそらくついでに男を食い荒らしたうえでシェスティを連れていこうとするに違いない。――きっとパニックが起こる。
けれど――けれど。素直について行きたくはない。
(だって、絶対脱がされて『食堂』に連れていかれるし……)
食堂――要するに乱交部屋というか。捕らえられた男たちがいて、それを食う《・・》ための場所。昔からそこには近づきたくなかった。成体になる前にちらりと覗いたことがあって、――ああ、あそこには入りたくない、と確信した。
しかしシェスティの魔力不足は明確だ。女王はシェスティを前線に出すつもりだ。飛ぶこともままならない魔力量で、戦いに参加することはできない。
それを誤魔化すことはできないだろう。
手紙をランタンの火で燃やしながら、ぼんやりと空を見上げる。月を見上げればもう少しで満月だ。ちょうど、あと三日といったところか。
(どうにか直接、お母様を説得しなくては――)
とにかく、女王に町に来られては困る。三日後、指定の場所――『城』のある森の入り口へ向かう必要がある。
ただ、そのためには、ゼルギウスに隠れてこっそりと町を出なくてはいけない。――その、ゼルギウスにバレずに出ていく方法が、必要だった。
家に彼がいる時に、夜に出ようとすれば理由を聞かれるだろう。なんとか――彼が夜遅くまで帰ってこない時でなくてはならない。
そう考えて、はたと思いつく。――ノルベールに、頼めばなんとか引き留めてくれるかもしれない。
シェスティが行けなくて困るのは向こうも同じだ。別に人間族の町をまるまる滅ぼすのに加担するのではない。きっとわかってくれるはずだ。
(――明日。探して、頼んでみよう)
彼がどこにいるかは聞いていないから、町を探し回るしかない。ゼルギウスは知っているのかもしれないけれど、どうして話をしたいのか聞かれると困る。
どうにか、シェスティ一人でノルベールを見つけなくてはいけなかった。
翌日、ゼルギウスを見送ってから、町に出る。闇雲に探してもそう出会えそうにないことはわかったけれど、結局手掛かりが思いつかず、ノルベールと出会った場所を思い出しながら、商店街を歩くことにした。
門限のある宿だという話だけは覚えているけれど、それで見つけられるとも思えない。
そもそも彼がどういう生活をしているのか。それもわからない。――おそらく、以前出会えたのは、ノルベールがシェスティのことを観察していたからだろう。今は、ペンダントを作ってもらったことでその監視の目も離れてしまったかもしれない。
(困ったな……)
せめて、居場所を聞いておくか、連絡手段をもっておけばよかった。ペンダントをわざと破壊すれば彼に伝わると言っていたけれど、そうすると大切な自衛手段を失う。
夕方になっても見つからなかった場合の、最終手段とするべきだろう。
商店街にはいくつかの店が並んでいる。昼前でいい香りが漂いだしていた。屋台で串を売っているようなところもある。
そんな中にアクセサリー屋も存在していた。自分が今首にさげているペンダントと同じようなものがあった。もしかしたら、ノルベールはここでこのペンダントを購入したのかもしれない。
――と、そこでようやく手がかりになりそうなものに思い至った。
彼の収入源である。
魔道具師として路銀を得ているのであれば、きっと生産ギルドあたりに登録をしているはずだ。ならば、もしかしたら、ギルドへ向かえばどこに行けば会えるか教えてもらえるかもしれない。
もちろん、信頼がなくて断られるかもしれないが……まあ、それならそれでまた別の手がかりを考えればいい。
そう考えて、シェスティはギルド支部へと向かった。この町に来て最初に訪れて以来、三廻ぶりくらいだが、道は一応覚えている。どうにか迷わずに辿り着くことができた。
|昼の鐘《午後十二時》までもう少し時間がある。だいたいどこに行けば会えそうかを聞いたら、とりあえず食事にしよう。
そう思いながら、受付へと近づく。
顔ぶれは以前来た時と同じだった。かなり前のことだったのに覚えられていたのか、入った途端に「ああ、ゼルギウスさんの――」と声をかけられる。向かって右側、――たしか、名前は。
「ええと……ルネリットさん、で、よろしかったでしょうか」
ぼんやりとした記憶を辿ってそう尋ねると、彼女は笑みを浮かべた。
「ええ、そうです。よく覚えていらっしゃいましたね」
「いえ、そちらこそ」
苦笑してそう返す。
「今日は何のご用ですか?」
「ええと……あの。人を探していまして。
今はフィールファルベに滞在しているはずなのですが、もしかしたらギルド登録のある方かもしれないと思って――こちらでお伺いできないかと」
話しかけている相手が、傭兵ギルド所属の者が依頼を受注するためのカウンター担当だから、部署違いだとわかってはいたのだが、どうやら彼女がそのまま対応するつもりのようだ。
「はあ。その方の、お名前はわかりますか?」
「はい。えっと、ノルベール……サロートさん、です」
ああ、と一言彼女は言った。どうやら覚えがあるらしいとわかる。
希望を持ったがしかし、――次の瞬間、ルネリットから怪訝な目を向けられる。
「……あなた、ゼルギウスさんと同棲してるんですよね? 彼にどういう御用なんですか?」
ノルベールを探していると言っただけなのに、特に今関係のないゼルギウスの名を出されて困惑する。
「え? えっと……同棲っていうのは、なんだか違う気がしますが……宿の代わりに宿舎を使わせていただいているだけですよ」
「違わないでしょう。一緒に住んでるんじゃないですか」
言葉に詰まる。
その声色と視線は攻撃的で、十数日前に感じた胸のざわめきが、気のせいでなかったということをここにきて確信した。
「護衛されてるからなんて理由つけて、部屋も何もかも頼りきりで彼に依存して。そのうえノルベールさんにまで色目使うんですか? どういう神経してるんですか」
彼女は憮然として畳みかける。受付の他の二人が苦笑してなだめようとするが、かえってそれが逆効果になっているようだった。私は彼女に聞いているんです、と、まっすぐシェスティを睨みつけてくる。
――ゼルギウスは影でちょっとした人気があるのだと、ゾフィが以前、休憩中に話していた。そんな人を捕まえるなんて隅に置けない――なんて言われて困ってしまったけれど。
ああ、この人が、と。情報が結びつく。
「えっと、あの」
どう言ったものだろうか、と悩み悩み言葉を紡ぐ。
「ノルベールさんには、その……彼がゼルギウスさんのご友人ですので、それで知り合って。彼にしか頼めそうにないことがあるので、お願いしたいんです」
報酬は発生しないし、ギルドを通す類のものではない個人的な依頼ですが、と添えたうえで、更に続ける。
「ゼルギウスさんに甘えっぱなしなことは、認めます。ただその、宿舎に住ませていただいているのは、単純に宿に泊まるより安いからで――つまり、経費の削減です。色目を使うとか、そういうことではなくて。
同棲――って言うと、なんだか、……特別な関係みたいですけど、全然、そういうのは私たちにはないです」
最後は少しだけどういう顔をしたらいいのかわからなくなって、思わず眉尻を下げた。うまく返せた気がしない。案の定彼女はいまだ憮然とした表情だった。
「経費を本当に削減するんだったら、宿舎の部屋を借りるんじゃなくて、すっごい安宿に泊まればいいじゃないですか。それに――特別じゃないなんて、なんですかその嫌味。自慢ですか?」
「……え、」
自慢ですか、そう返されて返答に困る。
「ゼルギウスさんは……その。護衛として、親切にしてくださってはいますし、色々と便宜を図っていただいていますが、それだけです。自慢なんて、そんな」
「『護衛』って言いますけど、それは旅の途中で魔物に襲われないようにするための『護衛』で、命が狙われるような立場の人が暗殺されないようにするとか、そういうのじゃないでしょ。町の中でそんなついて回らなくてもいいじゃないですか。
なのにゼルギウスさん、あなたを迎えに行かなきゃいけないとかでわざわざ受ける依頼を簡単なやつにしたり――今までにも他の方の護衛任務につかれたことがありましたけど、こんな風にはなさってなかったもの」
「それは――その、私が、えっと、色々トラブルに巻き込まれやすいからで」
「それにしたってだいたいあなたの自己責任だし、ゼルギウスさんは何か起っちゃってから対応すればいいようなものですよ、町の中のやつなんて。命の危険ではないんだから」
「…………」
思えば『護衛』という単語の解釈についてゼルギウスと内容を確認したことはなかったのかもしれない。彼が護衛としてするのだと言えばそうだと思ったし、それに甘えていたのだ。
依頼を受けるような人は、もう少し早くに来ているのだろうか、受注用のカウンターをシェスティが占拠して困っている人はいないようだった。ちらほらと依頼を出しにきた町の住民が、ぶしつけな目を向けてから去って行く。
「とにかく、ゼルギウスさんに大事にされてるのに、その上ノルベールさんにまで色目使うのは私としては許せません。――私情ですがっ。別にギルドに通すべきでない、個人的依頼だというならこれで構わないでしょう?」
「だから、色目ではなくて――」
そう言いかけて、やめる。――結局この人も、彼のことが好きで、だから私が気に入らないのだ。こういう説明ではいつまで経っても平行線で。
だからはっきりと言わなくてはいけない。胸の痛みに耐えながら、懸命に笑顔を作った。……苦笑気味なのは、仕方ないだろう。
「……その。彼は本当に、親切なだけです。私が頼りないから、気を遣っていただいてばかりなんです。それに、彼自身が、その――誰にも特別な気持ちはもってないって、言ってましたので」
――彼は『一生かけて護りたい』と思える人に、出会っていないのだから。
シェスティの言葉を受けて、今度は少し、ルネリットが言葉に詰まった。そうして目線を逸らして、「でも、」と呟くように言う。
「でも――あの人、今までは、全然――」
ぼそぼそ、と彼女は言った。どういう意味だろう――と問い返す前に、ぽん、と肩に手を置かれた。
「……僕に用だって? 君のこと?」
振り返ると、そこにはノルベールが立っていた。以前宿舎利用のために対応してくれた鳥人の女性が、困ったような笑顔でこちらを見ている。――たぶん、呼んでくれたのだ。
「あ――はい。そうです」
彼はちらり、とシェスティの胸元を見た。ペンダントをつけていることを認めてから、笑顔を向けてくる。
「どうせゼルギウス関係のことでしょ。ここじゃなんだから、どこか行こうか。……昼はもう食べた?」
「いいえ、これからです」
「じゃあついでに食べよう。……では、失礼」
ノルベールは受付にさっと礼をして、身を翻す。シェスティも「ご迷惑おかけしてすみません、失礼します」と一礼して後に続いた。