シェスティの言葉に、ゼルギウスはほんの少しだけ息を呑んだ。けれどやはり続く相槌は淡々としたものだ。
血で――血がいいんです、キスは――恥ずかしいから。そう先に言わなくてはいけなかったのかもしれない。けれど気が付けばまた唇を塞がれている。
一瞬で離れたかと思えば、また触れられている。啄むようなキスだった。何度も何度も、角度を変えて落とされて。息が荒くなっていく。思考がとろけて、ぼんやりと目を閉じた。
「……シェスティ」
低くて静かな声がする。唇が離れて、いつの間にか閉じていた目を開けば、瑠璃色の瞳が目の前にあって、吸い込まれていくような気になった。
終わったのだろうか、と思ったけれど、次の瞬間体を持ち上げられて、膝の上に乗せられた。そして頭と背中に手を回される。シェスティが口を開く前に、また、口づけを落とされる。
次第に、回されていた腕に力がこもった。そうして薄く開いていた唇の間から、やわらかくてあついものが入り込む。
「ん……ぅ」
思わず声が漏れた。自分でも出したことのないような甘い声。背筋にぴりっとした感覚が走る。一段と強く抱きしめられた。
入り込んできた舌が歯の裏をなぞる。そのたびに体が少しだけ跳ねた。霞がかったような思考の中で、気が付けばそれに自分の舌を絡めていた。
(――う、だめ、だめだってば、もう、十分、)
脳裏で、遠くそんな声がする。静かな空間で水温と自分の心音だけが鳴り響く。腕に込められた力が更に強くなって、苦しいほどで。
くらくらとしていた。血でいいんです、そう言うはずだったのに。そのはずだったのに、いざされてしまうと拒めなくなってしまう。あるいはもしかしたら――こうなることを期待して、あえて言わなかったのかもしれない。
――どれくらいされていたのか、もうよくわからなくなってきた頃に、ようやくシェスティは解放された。
薄く目を開けると、瑠璃色の瞳はやはりシェスティをじっと見つめていた。それが珍しく、どことなく熱っぽいような気がした。瞳に映る自分の顔は、とろとろとふやけてしまっている。
顔を離せば、名残惜し気に糸を引く。視界が若干ぼやけていた。きっと顔はこれ以上ないくらい真っ赤なのに、目を逸らせないでいる。
しばらくぼんやりと見つめあっていた。体が火照っている。体が反応している。
――シェスティは処女だけれど、その体はそういうことのためにあるようなもので、だから、ちょっとだけ――反応がいい。
息が荒かった。シェスティも、ゼルギウスも。湿っぽい呼吸が静かに耳を打つ。
――と。突然ばっと肩を押され、距離を引き離された。
「………………。こんなものでいいだろうか」
ゼルギウスは少し顔を背け、少しだけ荒くなった息を整えていた。シェスティはというと、まだ脳が付いていかなくて、乱れた呼吸を繰り返すばかりである。
「……シェスティ。シェスティ?」
何度か名前を呼ばれて、散り散りになっていた思考が戻ってくる。
「はっ……は、はいっ! はい!?」
起きたことに脳の処理が全く追い付いていない。完全に飽和していた。とりあえず促されるままにふらふらと立ち上がる。
「大丈夫か?」
「だっ……い、じょうぶ、です!」
ゼルギウスの方を見ないようにして、無意味に大きな声で返す。
「魔力は、足りているのか?」
普段通り淡々とした声でそう問われて、ようやく、自分が何のためにあんなことをしていたのかを思い出す。
――魔力。こんなにあるの、久しぶりだ。
気が付けば、かなりの量の魔力が体内にあることが感じられた。
「だい――じょうぶです。これだけあれば、問題ありません」
それでも、シェスティの器の半分程度だけれど。――平均的なサキュバスにとっての、全容量よりちょっと少ないくらいはある。
「そうか」
彼は普段通りにシェスティを見下ろしていた。彼からしてみれば、後はシェスティに任せるしかないのだから。
十回ほど深呼吸をして、ようやく気持ちを落ち着ける。
(ああ――もうっ、もう)
〈魔力構造解析〉を開始する。シェスティの、〈|個人技能《アビリティ》〉。編み目のような魔素の繋がりを、ひとつひとつ分解して。
(今のだって、本当は――)
彼女には『見え』ている。その魔術がどのように構成されているのか。それがいかに初めて見る魔術でも。どんな者が編んだ魔術でも。構造がわかれば魔素の状態までほどくことだって、簡単にできる。
(こんな義務的なことでするキスじゃなくて――)
するり、するりと糸を抜くように。そのたびに魔力が消費されていくのがわかる。けれど手を止めない。
(二人っきりで、それにもっとロマンチックな状況でファーストキスはしたかったのにっ――!)
風もないのに髪がたなびく。少し荒っぽいほどき方をして。ストレスをぶつけるようにして。まだおさまりきらない胸の高鳴りを無視して。
(お母様の馬鹿ーーーッ!!!!)
ぱんっと。構成されていた空間が弾けるように霧散して。
「あら――あらまあ」
夜の平原、元居た場所に二人は立っていた。
「前戯もほとんどしてないのに、勝手に出てきちゃったの」
「お母様が見てるってわかってるのにするわけないじゃないですか馬鹿ーーーッ!!!!」
シェスティの渾身の叫びが、辺りに響き渡った。