恋する淫魔と大剣使いの傭兵

三章 | 01 | 初めての別の町


 野宿は特に問題なく終わった。小さめの結界石をゼルギウスが使ったから、魔獣に襲われる心配もない。

 結界石が効く時間と範囲は、概ね石の大きさによって変動するようになっている。もとが大きな魔石だと、その分複雑に編まれた魔術を込めることができるのだ。二人ぶんの寝床を、夜の間確保するくらいなら、シェスティの手のひらに収まるくらいの大きさで済むが、村や町に置かれるようなものは、抱えて持つような大きさになる。

 寝袋はゼルギウスが二つ用意してくれていた。夜中にこっそりと手近な花から精気を吸っておいた。少し魔力不足かもしれないけれど、魔術を使う機会がなければおそらく大丈夫だと言える量だった。

 その翌日も歩いて、昼過ぎごろに町の外壁が見えてきた。

「あれがフィールファルベだ」

 シェスティが訪ねる前に、ゼルギウスは言った。まだ遠くだが、目的地が目に入ると足取りもなんとなく軽くなる。少し休憩を挟み、また歩き出す。

 フィールファルベが目前に迫ってきたところで、ちょうど鐘が鳴った。ギルドが鳴らしているもので、町では太陽の昇り沈みの他、この鐘の音がだいたいの時間の目安になる。
 常に時を刻み続けることのできる時計は高価なものだから、ギルドを始めとして町でも一部にしかない。だから鐘の音は大切だ。今の鐘の音は夕前の鐘――午後三時頃。

「支部が閉まる前に辿り着けたな」

 とゼルギウスは言う。

 道中で言われたのだが、一定の規模のある町には、ギルドが旅をしていて定住地のない傭兵向けに、|宿舎《アパート》を用意しているらしい。二十日、つまり|四廻《四週間》以上の滞在であれば、宿に滞在するよりもずっと格安で部屋を借りられるのだという。別途料金はかかるが、食堂も併設されているらしい。一定の信頼は必要だが、この地方であれば問題ないだろう、ということだ。

 ギルド関係者でなくても、一人か二人ならば、旅先で出会った恋人とか色々あるだろうということで共に入居することができるらしい。もちろん手続きは必要だが、そこまで厳密なものではない。犯罪者の一覧に含まれていないかとか、そういうことを確認する程度のことで、大抵は許可される。

「とりあえず|ひと月《五廻》ほどはフィールファルベに滞在しようと思うが、構わないか?」

「はい」

 シェスティに断る理由はない。初めて訪れる町は、テンベルクとは雰囲気が違って、なんだかわくわくする。

 フィールファルベに入ると、まず真っ先にギルドへと向かうことになった。ゼルギウスは長い間ここを拠点にしていたため、道に問題はない。道中は大変賑わった空気で、早めの夕食を取る者もちらほらと見受けられる。

 ギルド支部の建物は、テンベルクとそう構造が変わらない。大きな扉を開けて入れば広間があり、その奥にあるカウンターで受付が待機している。

 テンベルクと違うのは、あちらはあまり傭兵もおらず依頼が多くなかったためか、受付が一人だったのだが、フィールファルベ支部には三人が待機しているという点だ。
 シェスティは後から聞いて知ったことだが、中央は一般向けの依頼提起用、向かって右隣りは傭兵ギルド所属の者が受注するためのカウンターだ。左側にいるのは、その他業務のための案内役である。

「……あら、ゼルギウスさんじゃありませんか?」

 入ってきた二人を見て、受付の青い髪をした女性が声をかけてきた。受注担当である。

「ああ、ルネリットさん。お久しぶりです」

「どうなさったんですか? ベルグシュタット地方に活動を広げるために行ってくるって、仰ってたじゃないですか」

「いや、それが……」

 ゼルギウスはテンベルクであったことをかいつまんで語った。

「ああ……あれ、ゼルギウスさんも巻き込まれていらっしゃったんですね」

「噂はこちらでも?」

「はい。……いえ、テンベルクで魔族の関与が明確な魔獣被害事件があったということは聞いておりますが、討伐部隊の内に内通者がいたとかそういう話はありません。こちらでの仕事に支障はないと思いますよ」

 ゼルギウスは少し硬くなっていた表情を和らげた。

「……ところで、お連れのお嬢さんはどうなさったのですか? 保護依頼でしょうか」

 彼女は台帳をぺらぺらとめくる。魔道具の一種らしく、開くたびに新たな文字が浮かび上がってきている。

「いや。……ああ、地方を跨いだから情報が登録されていないのか。テンベルクで受注した護衛依頼です」

 ギルドは地方ごとに管轄がわかれている。通常、依頼を受注した傭兵の魔力登録によって、その傭兵が今どんな依頼を受注しているのかという情報が管轄を跨いでも共有されることになっているのだが、ゼルギウスの場合その魔力登録ができないので地方を跨いでしまうと確認が取れなくなってしまう。
 普通ならば依頼完了報告や報酬の受け渡しはどのギルド支部でも行うことができるはずなのだが、ゼルギウスの場合は依頼内容についての簡単な登録を行っておかないと混乱を招くのである。

 ゼルギウスは普段、手続きが面倒なので必ず受注した支部で報告を行っていたが、今回は『旅をする』ということそのものが依頼内容のため、どうしても必要不可欠になる。

「確認取れました。フェルトシュテルン地方全体では明日以降の登録になるかと思います。ご不便おかけします」

「いや、こちらこそいつも申し訳ない。……あと、宿舎利用の申請を行いたいのですが」

 そう言うと左側にいた別の女性が手を挙げた。こちらは獣人――鳥人のようだった。人間族の中でも、毛皮や鱗、羽といった器官をもつヒトである。テンベルクにはあまり多くなかったのだが、フェルトシュテルンでは道中でもしばしば見かけていた。そう珍しくないのだろう。

「こちらでお伺いします」

 諸々の手続きが終わり、シェスティが犯罪者リストにないことの確認が終わると、二人は部屋の鍵を渡された。

「しばらくはフィールファルベに滞在するつもりです。またよろしくお願いします」

「ええ、はい、こちらこそ!」

 ルネリットと呼ばれた女性は満面の笑みを浮かべた。シェスティはその顔を見て少しだけ心がざわめくのを感じた。

 ――気のせい、かな。

「……シェスティ、行くぞ」

 気づけば訝し気にゼルギウスがこちらを見下ろしている。

「――あ、はい!」

 シェスティはギルドの受付たちに一礼すると、ゼルギウスと共に支部を後にした。



 道中の商店街で、夕食として食べられそうな軽いものを購入してから宿舎へと向かう。
 宿舎は旅人向けの宿が立ち並ぶ界隈ではなく、住宅街の中にあった。――といっても、商店街にほど近いところで、閑静な住宅街とは言えない。

 ゼルギウスについてたどり着いたのは、三階建ての建物だった。一階は一般開放された食堂で、二階と三階に部屋が並んでいる。外付けの階段を上がって、二人が過ごすのは三階の角部屋だった。

「ちょうど前の入居者が出たばかりらしい」

 とゼルギウスは言った。

 鍵を開けて中に入る。玄関から少しだけ廊下が続いていて、目の前のドアを開けるとリビングとキッチン。ひととおりの家具や調理器具、食器も置いてある。そこから二つの部屋に繋がっている。軽く中を覗いてみれば、どちらにも寝台が置かれている。

 風呂とトイレもあり、ある程度の魔石――火炎石や水流石は備え付けで置かれていた。
 曰く、生活用の魔石も家賃に含まれているらしい。もちろん生活日数に応じた必要数しか支給されないし、使用数は報告の必要があり、余った分は返却しなくてはならない。とはいえ、無駄遣いさえしなければ問題はないだろう。

 ちなみに――こういった生活用の魔石は、正しくは魔石そのものではなく魔道具と呼称するのが正しい。正確に言えば、魔石はその素材のことである。ただ、石の形で流通し、魔術が使用できない者にも生活に必要な魔術を使うことのできるようにする魔道具は、通称魔石と呼ばれる。

 魔術が使えさえすればここに置かれている魔石を使わなくて節約になるということなのだが、生憎シェスティもゼルギウスも生活用魔術が使用できないため、この魔石たちには厄介になりそうだ。

 なんにせよ、衣食住のうち住については、不自由することはなさそうだった。

 さすがにタオル類などは無いようだったので、今日のところは旅の間使っていたもので我慢して、明日に買い出しを行い、昼以降に仕事を探そう、ということになった。

 初期費用としてかかった保証金はゼルギウスがこちらのギルドに預けていた分のお金から出してもらったため、シェスティが旅に出てから出したお金は、自分用の食事代と宿泊費くらいのもの。ゼルギウスに対し、テンベルクではじめに渡した分以外のお金を渡せていない。

 明日の買い出しも含め、当面の生活費はゼルギウスがとりあえず支払うということになっていた。

「あの、ゼルギウスさん……」

「なんだろうか」

 買っておいた肉串や野菜とハムを挟んだパン(店じまい直前で、安売りになっていた)を夕食に食べながら、シェスティはゼルギウスに話しかける。ゼルギウスは久しぶりに少し多めに食事をとりたいということで、装備を外しているところだ。

「私、明日からちゃんと働いて、頑張って報酬、用意しますね……」

 立て替えてばかりで申し訳なくて、そう宣言する。

「……。そうだな。そうしてくれ。ただ、……酒の入るようなところは、やめておけよ」

「そ、それは、はい。もちろんです」

 言われずとも避けるつもりだったが、心配してもらえたようで嬉しい。……と、思ったけれど、よく考えると彼は護衛だ。シェスティがああいう目にあうと、ゼルギウスが余計な仕事をしなくてはならなくなる。

 ゼルギウスを見送ってから、シェスティは一人で悩んでいた。ひと月だけでも雇ってもらえて、酒が入るようなところではなくて、できれば、昼間だけの仕事。

(薬屋、はなぁ……信用問題とか、あるし……)

 テンベルクで薬屋をやらせてもらっていたのは、自分の世話をしてくれた人がたまたま薬屋だったという幸運があったからだとシェスティは考えている。店番だけでも、かなり厳密に記録を付けたりする必要があるから、突然やってきた旅の人間にやらせてもらえるものではないだろう。

(昼間だけの食事処とかで働かせてもらえるのが、いいんだけどな)

 昼なら酒を出す店でもそこまで酒を飲む人間はいない。皆無ではないが、何人もいなければ〔|解呪《リリース》〕である程度は対処がきくだろう。――たぶん。

 とりあえずそういうことは明日に悩むことにして、お風呂に入ろう。そう決心して、シェスティは風呂の用意を始めた。

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